イスラエル観光 エルサレムのご紹介

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この前の年末年始にイスラエル旅行に行ってきましたビックリマーク

 

今回は旅行記の前に、基本知識としてエルサレムを紹介させていただきます。

 

エルサレムは1981年「エルサレムの旧市街とその城壁群」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されましたが、帰属問題(エルサレムはイスラエルの首都?パレスチナの首都?)があるため、「ヨルダンからの申請」とされた極めて珍しい世界遺産。

 

エルサレムは3000年前にダビデ王がイスラエル王国の首都と定め、旧市街(下写真)はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地です。

 

エルサレム旧市街とよばれ、こここそがユダヤ教徒・ムスリム・キリスト教徒、三教合わせて約35億人にものぼる信者にとっての「聖地」であります。

 

1981年には「エルサレムの旧市街とその城壁群」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されましたが、帰属問題を孕んでいることなどを踏まえ、なんと「ヨルダンからの申請」とされた極めて珍しい案件。

 

それぞれの宗教の聖地はエルサレムの旧市街にあります。
1.ユダヤ教徒の聖地である「嘆きの壁」
2.キリスト教徒の聖地である「聖墳墓教会」
3.イスラム教徒の聖地である「岩のドーム」

 

私はユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、ヒンズー教などを勉強していまして、いいとこどりで、特定宗教を信仰していません。

そのためた客観的に宗教をみているため、きわどい内容になっていますので、クリスチャンの方は読まれないようにお願いいたします。

クリスチャンの知り合いに新約聖書の矛盾を質問すると「疑わず、信じるものだ」といいますが、信頼できるものであればいいのですが、信頼できるかどうかの判断は必要と思います。

 

1.ユダヤ教の聖地について
ユダヤ教の経典「 タナハ」にイサクの燔祭(イサクのはんさい)という物語があり、ユダヤ人の祖先であるアブラハムが神に信仰心を試される話があります。
 

その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、神によって命じられるというものでした。
 

アブラハムは悩みますが、丘の岩の上に息子を横たわらせ、刃物で殺そうとした瞬間、「お前の神への信仰心はわかったから、もう殺さなくて良い」という声が聞こえ、アブラハムは息子の代わりに羊を捧げ、岩の上に降りていきます。
 
ユダヤ教ではこの岩を「聖なる岩」とし、岩のある場所に神殿を建てました。
 

この神殿は紀元70年にローマ帝国によって壊され、現在では神殿の西側の壁のみが残っています。
これが「嘆きの壁」で、ユダヤ教徒たちが熱心にお祈りをする場所になりました。

 

●豆知識①
ユダヤ教の聖書「タナハ」はキリスト教の旧約聖書にあたります。

実は旧約聖書はユダヤ教の聖書をまったくのパクリで、タナハはユダヤ教徒だったイエスの聖書です。
しかし、イエスの弟子がキリストを神として布教し、新しい神イエスと人間の契約だから、新約聖書をつくりました。
ということで、神であるキリストが生まれる前の聖書を旧約聖書とし、イエスの弟子がキリストを神として布教するために都合よく(言いすぎ!?)作ったのが新約聖書。
都合よく作っているため、製作者により食い違いが多くあります。

 

●豆知識②
・アブラハムユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖。
・アブラハムはイスラム教ではイブラーヒームと呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされます。
・イサクの燔祭の試練を乗り越えたことにより、ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者で「信仰の父」として、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒によって今日でも讃えられています。

 

2.キリスト教の聖地について

ベツレヘムで生まれたイエスは、近くの町のガリラヤ湖畔のティベリアで布教します。
新約聖書ではティベリアでイエスは死者を生き返らせたりなどの奇跡で人気モノとなり、エルサレム入場後、ユダヤ人によって十字架にかけられ死刑にされたと書かれています。
捕らえられたイエスが十字架にかけられた場所が「ゴルゴタの丘」で、この丘とされる場所に建設されたのが「聖墳墓教会」です。
聖墳墓教会はイエス・キリストの聖なる墓があった場所に建てられた教会、という意味です。

 

3.イスラム教の聖地について
開祖ムハンマドは、メッカから天使に連れらててエルサレムの「聖なる岩」(イサクの燔祭の岩)の上に手をついて、そこから天に上がったとされています。
7層からなる天を上がっていったムハンマドは、預言者たち(アダム、アブラハム、モーセ、イエス)に会い、再びエルサレムへ降りてきて、メッカに戻ったといいます。
そのため、イスラム教徒にとっても、「聖なる岩」は信仰の対象で、イスラム教徒は丸い屋根で覆い、さらにその屋根には金箔が張り巡らされて「岩のドーム」と呼ばれるようになりました。
 
以上、エルサレムが3宗教の聖地となった由縁でした。

 

トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都認定したことで、最近、話題になりましたね。

世界中が大騒ぎしてるのは下の写真の城壁内でわずか1キロ平方mに3宗教の聖地があるんです。

 

今では4つの地区(ユダヤ人地区、アルメニア人地区、キリスト教徒地区、イスラム教徒/ムスリム地区)に分かれています。

ここでアルメニア人地区があるって不思議に思われませんか?

 

理由は次の通りです。

紀元前1世紀、カスピ海から地中海までを領土とする大アルメニア国があり、紀元前95年にアルメニア人がエルサレム近郊に来たことと言われています。
その後、キリスト教が伝道され、アルメニア王族が信仰したため、紀元301年、アルメニアは世界最初のキリスト教を国教とした国となりました。
313年にローマ帝国がキリスト教を認めたミラノ勅令があり、アルメニア人はエルサレムに教会や住居を建設していきました。
アルメニア教会は、イエスの人性を否定して、神性のみを主張する単性論をとったため、5世紀以来、ギリシャ正教、カトリックとは一線を画す宗派となり、エルサレムでも独自の地域を守りました。
ムスリム(イスラム教徒)がエルサレムを支配したときは、アルメニア正教はギリシャ正教と対立していたため、母国のアルメニアが多額の援助を送って税を支払ったことで、一定の地位を確保できました。

(クリスチャンは異教徒を改宗をせましますが、ムリスムは異教徒に対しては税金を払えば寛容です。)
アルメニア正教はムリスムと険悪な関係にならず、カトリックとギリシャ正教と対立したことで、大きな勢力でも吸収合併されず、現在のエルサレムの4つの地区の一つを構成できました。

 

 

次回はエルサレムの一番のみどころの1つ「ヴィア・ドロローサ(ビア・ドロローサ)」を紹介させていただきます。

 

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