ウズベキスタン旅行~タシケント市内散策~

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夏休みにウズベキスタン、タジキスタンを旅行しました。

 

この旅行では、仏教遺跡やアレキサンダー大王のゆかりの地と歴史の旅です。

 

今回はタシケントの市内散策を紹介します。

ナヴォィー劇場(ナボイ劇場)です。

 

 

この劇場は日本人と大きく関係がありますが、みなさん、ご存知でしょうか?

その関係について説明します。

ナボイ劇場は地上3階建て、地下1階、1,400席を備えた壮麗なレンガ作りの建物で、旧ソ連時代ではモスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)、キエフのオペラハウスと並び称される四大劇場の一つとされていました。

この大劇場は日本人捕虜が2年をかけて建設しました。

 

その日本人捕虜についてです。
日本の降伏直前(1945年)に、日ソ中立条約を蹂躙して満洲になだれ込んだソ連軍は、戦争終了後に捕虜をシベリアや中央アジアでの強制労働で使役するという、国際法違反を犯したのでした。

この大劇場建設の日本人捕虜のリーダーは満州の奉天第10野戦航空部隊で航空機の修理担当の永田行夫大尉でした。
彼の部下249名と、途中、他の日本人捕虜も加わりました。
特に1946年、日本大学の建築学科を出た若松律衛(りつえ)少尉が工事全般の日本側総監督に加わり、”ソ連の歴史に残るオペラハウスとなる以上、日本人の誇りと意地にかけて最良のものを作りろう”というスローガンで立派なオペラハウスを2年間かけて建設しました。

 

話はそれだけで終わりません。

サボイ劇場はウズベキスタン首都タシケントで象徴する建物でしたが、1966年4月26日にタシケントに大地震にみまわれました。

この大地震で政府系建物240、工場250、約8万の家が崩壊し、タシケントの街がほぼ全壊状態でした。

この大災害の中でも、ナボイ劇場が無傷でした。

 

無傷だった劇場は、避難所に使われ、災害にみまわれた市民にとってこの劇場は驚きと希望だったと思います。

 

大地震にも無傷だったナボイ劇場の話は、瞬く間にウズベキスタン国内だけでなく、カザフスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンなど中央アジア各国に伝わりました。

 

そこで、日本人は優秀で真面目な民族だという「日本人伝説」が広まりました。

 

劇場の壁には強制移送の日本国民が建設した旨のことが刻まれています。

 

拡大図です。

 

次にホームが綺麗な地下鉄に行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

移動して、コスモナウトラル駅に来ました。意味は宇宙飛行士。

ユーリイ・ガガーリン

 

 

世界初の女性宇宙飛行士テレシコワ

 

インターポール

 

スーパーマーケット ものは豊富にありました。

 

ウズベキスタンのメジャーのビール 味はいたって普通。日本のビールと同じ系統。

 

 

 

 

今回でウズベキスタンは終わり、次回からタジキスタンを紹介します。

 

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