奴隷貿易その3~衰退編~

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 前のブログではイギリスによる三角貿易により黒人奴隷貿易は最盛期を迎えましたことについて紹介しました。
 
 前のブログは下記から見てください。
 
http://ameblo.jp/la-luna-sarah/entry-11614525438.html
 
 最盛期を迎えると衰退が待っています。
 
 今回は奴隷貿易の衰退について書きたいと思います。
 
 それでは、盛んに行われていた奴隷貿易はなぜ衰退したのでしょうか?
 
 衰退の原因としては人道的解釈、経済的解釈の大きな2つがあります。
 
 心情的には人道的理由からといいたいところですが、発端は経済面から衰退していき、経済が弱ってきたところに人道面からの反対者の勢力が強まり、衰退を加速させたと考えています。
 
 奴隷貿易の人道的衰退理由は人の商品化が問題だと皆さん、よくお分かりと思います。では、経済的衰退理由は何でしょうか?
 
 下記の理由から奴隷貿易は次第に有益とは見なされなくなり縮小化していきました。
 
【アフリカ側(奴隷供給側)】 理由は1点。
 地域の人的資源が急激に枯渇してしまい、それに伴う奴隷の卸売り価格の上昇
 

【南北アメリカ側(奴隷需要側)】理由は4点。
①奴隷の待遇が前より奴隷に関わるコストが上昇
 
②奴隷の待遇が良くなって存命率が増え、農業の生産量増大したため、産物の価格低下
 ⇒奴隷を購入して農業するメリットが縮小化
 
③アメリカ南部での奴隷価格の低下
 低下の理由
 アメリカ南部のプランター(農業主)は賢く、奴隷を家族丸ごと購入したのです。

 なぜでしょうか?
 
 奴隷を家族で所有すれば、奴隷が老いてもその子が新たな奴隷となり、奴隷が亡くなっても奴隷市場で奴隷を買う必要がなくなりました。
 アメリカ南部では奴隷の自家生産システムをつくり、プランターは巨万の富を築きました。
 このリッチな人々を描いた映画があり、それはかの超名作とされる「風と共に去りぬ」です。


④アメリカ北部での奴隷価格の低下
 低下の理由
 南部は農業に対し、北部では工業化が進み、奴隷の生活全般を面倒みるよりは、今のような契約労働者を雇った方が経済的で暴動の危険もなくなるというメリットがありました。
 
 さらに、工業化が進むと労働者数も少なくなり、労働者の知的能力が必要になってきました。
 
 北部はイギリスをはじめ、多くのヨーロッパからの移民がおり、その移民者の方が黒人奴隷より工場労働者に向いていたことがあります。
 
 このように北部では黒人奴隷の需要が激減し、人道的に奴隷は良くないという思想をもつ人が増加してきます。


 さらに、経済的にはアメリカの工業化に伴い、大きなライバルは産業革命の本流のイギリスでした。そのイギリスは工業原料(綿花など)は南北アメリカに頼っており、奴隷貿易を廃止することで、三角貿易を衰退できると考え、北部では人道的にも経済的にも奴隷制度はよくないという考えになりました。


 となると、奴隷制度により社会が成り立っているアメリカ南部との隔たりが大きくなり、これが南北戦争に発展していきます。
 
 
 上記のように、人道的・経済的理由で奴隷貿易が縮小化する中、1807年3月25日、イギリス議会で奴隷貿易を違法と定めました。
 
 大英帝国全土(植民地も対象)では1833年、スウェーデン属領では1846年、フランス領では1848年、オランダ領では1863年に、奴隷制が廃止された。


 こうした動きの中、アメリカ合衆国では南北戦争での連邦軍(北部)の勝利によって奴隷制は全廃されました。


 奴隷貿易のつづきは次回のブログで書きたいと思います。


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