GW台湾旅行~故宮博物院見どころ・ガイド・おすすめ編~

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前回の九份(九フン、九分)観光につづき、今回は国立故宮博物院の展示物を紹介させていただきます。

故宮博物館の見どころ・カイドについての情報がインターネットであまりなかったため、この記事は次の方向けに作成させていただきました。

①故宮博物院を観光するにあたり、事前に情報を入手しておきたい

②以前、故宮博物院を観光し、どんな展示があったかを思い出したい

③故宮博物院が以前、気になっていて、どんな展示品があるか知りたい

故宮博物院は大英博物館、ルーブル博物館、メトロポリタン美術館と並ぶ世界四大博物館のひとつです。

展示は4000点以上にのぼるため、効率的にみるには3階から1階へと順に見られるといいと思います。

鑑賞時間は最低3時間は必要と思います。

時間を取れない方は今回の写真をご参考にどんなものを中心に見られたいかを事前にきめておかれるといいと思います。

特に、見どころ、オススメは作品名を併記させていただきました。

もし1、2時間しか時間がもてない方は次の展示品をみられるといいかと思います。

・301 ☆「西周 毛公鼎」、「宗周鐘」

・302 ☆「清 翠玉白菜」、☆「清 肉形石」

・304 ★「雕橄欖核舟」

・306 「清 景徳鎮窯 藍地描金粉彩游魚文回転瓶」

・205 「北宋 汝窯 青磁無紋水仙盆」、「北宋 汝窯 蓮花型温碗」

・207 「明 永楽窯 青花蟠龍天球瓶」

・106 ★「九層象牙球」

☆:三大至宝

★:五大至宝(☆含む)

 

私は特に「明 永楽窯 青花蟠龍天球瓶」と「九層象牙球」と「清 景徳鎮窯 藍地描金粉彩游魚文回転瓶」がおすすめです。

 

2016年12月2日より写真撮影がOKとなりましたので、各部屋の特徴と作品を写真を交えて説明いたします。

 

3Fの地図です。

3F 銅器・玉器常設展

301鐘・鼎の銘文

中華文化は夏・殷・周の三代の王朝で確立され、その文化の主軸となったのが「礼」と「楽」です。孔子が常々周公の「制礼作楽」を文化確立のための広い模範としていたことからも、その重要性がうかがえます。

礼楽文化は、国家の重宝である銅器に体現されています。礼器の中では「鼎」が首位にあり、楽器では「鐘」が上位に位置付けられています。これは祭祀の陳列と演奏に列鼎と編鐘が欠かせないものであったからです。

古代、「金」とは黄金色に輝く銅のことも指していたため、銅器に鋳刻されている銘文は「金文」とも呼ばれています。また、銅の礼楽器は鐘と鼎が中心となるため、「鐘鼎文」とも言います。銅器に鋳刻された銘文は、功績や徳行を述べて宗廟に示し、祖先の名を上げるとともに子孫に代々伝えるものであり、史料・実録として確かなものであるだけでなく、漢字の発展史においても極めて貴重な根源とされています。

 

下写真は「西周 毛公鼎」で食材を料理する際の炊食器で、この博物院の三大至宝のひとつです。現存する青銅器の中で一番長い32行500文字という毛公への宣王の論示の銘文(下写真)が彫られています。

 

伝世の「宗周鐘」(下写真)は、西周の天子-厲王・胡が直々に製作させた礼器の中でも最も重要な楽器です。「毛公鼎」は西周の宣王の叔父で重臣であった毛公が鋳造させた礼器であり、鼎の中には世界最長の篆書の銘文が鋳込まれています。「宗周鐘」には百二十三文字、「毛公鼎」には五百文字の銘文が鋳込まれており、これをもって殷周時代の金文すべてを総括することはできませんが、「嘗鼎一臠」、「聞鐘半響」などのことわざにあるように、部分から全体を推し量ることができます。この二器合わせて六百二十文字あまりの「鐘鼎文」は、漢字の源流を探る題材とするには充分と言えるでしょう。

 

302 天と人の合唱~玉石の彫刻芸術展~

一般食材である「白菜」は、宋の時代(960年〜1279年)から、芸術の題材として取り上げられるようになりました。芸術家達は、虫の痕跡をあえて残す事で、生命の躍動感や自然と共存するあり方を描き出しています。

また「白菜」という題材は、見る者に「飽食」・「質素倹約」と言ったイメージを与え、例えば君主には「民に飢え苦しみのない生活を」、知識層には「利得に溺れず、心の充足を愉しむ」などと言った理念をもたらしました。そして翠玉白菜の素晴らしさは、職人の「無駄な物は無い」とする気概と、高い技術にあります。玉の瑕疵や、見事なまでに分かれた緑と白を、その巧みな技術で余すことなく利用し、特に真っ白で雪のような白菜の茎は、花嫁のような純潔・清廉さで、まるで一家の安泰を祝福するような神秘的な輝きを放っています。

 

下写真は「清 翠玉白菜」で、清代末期の妃が嫁入り道具として持参したといわれ、紫禁城の永和殿に置かれた超有名の三大至宝のひとつです。

 

今回は三大至宝の「清 肉形石」(角煮)が出張のため、白菜3点セットが展示され、あまり見られない作品が見られ、ラッキーでした” alt=”ニコニコ” width=”24″ height=”24″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/024.png” />

 

 

下写真は「翠玉小白菜」と呼ばれる「永寿宮」にあった高さ13.4センチ、幅8.9センチのもので、葉の上にはイモムシが這っています。

 

下写真の3つ目の白菜は「南庫」に置かれていた「翠玉白菜花挿」(右)で、唯一中心部に穴が開いているといわれています。

 

304 若水澄華─国立故宮博物院所蔵玻璃文物特別展

「玻璃(はり)」(ガラス)は、中華圏の歴史的文献に頗黎や陸離、流離、琉璃、薬玉、瓘玉、玻瓈、料器などの名称でも記録されています。人類文明の発展史上、最も早い時代に誕生した人工素材の一つで、現在でもあらゆる面で私たちの暮らしに影響を与えています。考古資料によれば、紀元前3000年頃に古代エジプトと西アジアで原始的なガラス質の物質が出現したとされ、「faience」(ファイアンス)または「釉砂」と言われるその物質のほか、焼成温度が比較的高い「玻砂」(frit)で作られた物もあります。西周時代の遺跡からも、二酸化ケイ素を主な成分として焼成により作られた、玻璃に近い質感の物品が発見されています。時代が下ると、玻璃は玉や石のような物質から光沢を放つ人工素材へと変化しました。初めは不透明でにぶく光るだけでしたが、しだいに光を通す透明なものになり、写真撮影にも使われる多機能な素材へと進化しました。独特の美感と質感を持ち、絶えず開発され続けた多様な機能は様々な場面に用いられ、新旧の文化を織り交ぜた永続的な価値を持つ素材として利用されています。

国立故宮博物院所蔵の玻璃製文物は清朝旧蔵の各種器物を継承したもので、装身具や文房具、容器、置物などの装飾品、装飾用の小物などが含まれます。そのうちの多くが多宝格に収納されており、宮廷製作品と希少価値の高い西洋の精美な文物を代表する品々だと言えます。ごく小さな物ですが、大型の容器とはまた違った趣や収蔵価値があります。特殊な人工素材である玻璃は、清代皇室による管理の下、多種多様な発展を遂げました。

 

305 307 古代青銅器の輝き-中国歴代銅器展

中国の青銅器時代は夏の晩期(約紀元前17世紀初)から始まり、殷・西周・東周を経て、前後一千五百年ほど続きました。秦・漢以後は、鉄器が使用されるようになりましたが、銅器はやはり従来のしきたりのまま使われ、変わることはありませんでした。
当時、貴重な青銅器は貴族のみ、使うことができました。所謂、「国の大事は祀と戎に在り」なのです。青銅は兵器や楽器のほかは、主に祭祀用の容器に鋳造され、供物を入れて祖先を祭り、家族の末永い繁栄を祈りました。また、祭祀を行う際に置かれる礼器の数の多さが、貴族の身分と階級を象徴したのです。銅器は殷・周の貴族社会の中で最も重要な礼器だったのです。

殷・周の時代(1600-221B.C.E)は、中華文化を確立する重要な時代でした。政治面では、政教一致により、礼教と人文意識に目覚めました。物質面では、青銅鋳造の発達により、礼器・兵器用の新紀元が切り開かれ、また工芸技術の突破は、様々な産業の興隆を促しました。精神面では、国の大事である「祀」と「戎」について、銅器の形を通して、神や祖先に対する畏敬の念と心霊との疎通を託しました。また「銘文」を刻み、当時の祭饗、征伐、恩賞、冊命などの情況を記録しました。

青銅文明は鐘・鼎・彝器の「礼と楽」でほめ讃えられ、功をなしとげ祖先を祭る「祀と戎」で賞賛されました。周人が鋳造し紀銘した「其命維新」および「郁郁周文」には、東周の絢爛と賑わう新段階から、秦・漢の統一に至るまで、銅器は次第に礼制の中心から退いてはいくものの、むしろ一種の典型的なものへと転化し、更に深層な思想や文化の薀蓄も加わり、中華文化の美は、この一つ一つの器物の間にあって、広大且つ精緻を尽くし、きわめて高明に中庸を語っているのです。

 

下写真は「唐傭立女傭」です。西域から伝わったとされる靴を履いた美人像。

下写真は「唐 八世紀前半葉 三彩天王像」です。佐藤栄作元首相夫人が寄贈。

 

下写真は「清 黄玉 髄三蓮章」です。1つの石から作られたとのことで見事な出来栄えです。

 

下写真は48枚の翡翠でできていて、驚くのは両側の彫りがまったく同じで、裏がないということで裏表がないという誠実さを表しているとのこと。昭和天皇のもとにありましたが終戦後、返却されました。

 

306 308 敬天格物-中国歴代玉器展

玉は、触れると冷たく硬い質感がありますが、見つめているとその美しさと温潤なイメージが伝わってきます。この世で玉ほど歳月の洗礼を受けた物質はなく、また玉ほど中国人に濃厚な情感と奥深い理念を抱かせた物質もありません。

遙か七、八千年前、中国の大地で生活を営んでいた先人たちは、土を掘り、木を伐採するなどの生活経験の中から、「玉」が「美しく不朽」の石であることを知りました。それは春の日差しのような輝きを放ち、人々は美しい玉には豊かな「精気」、即ち「エネルギー」が宿っているのだと信じるようになりました。陰陽二気の運行に基づいて、美しい玉を円璧や方琮に作ったり、さらには神々や祖先の姿を彫り、暗号のような符号を刻み込んだりしながら、先人は「制器尚象」(大自然の事物を模して器具を製作)を通じて「同類感通」(同類が感応し合う)の法力を発揮し、神々との対話を求めました。彼らは、万能の神は神霊動物を介して神秘的な生命力をこの世に送り、人類を創ったと信じていました。こうした「万物に霊が宿る」思想から、中国特有の「龍鳳文化」が生まれたのです。

歳月が移ろい、社会の進歩に伴って人文主義が台頭すると、美しい玉に特殊な「霊性」が備わっているという迷信も徐々に変化を遂げます。龍や鳳凰、虎、鷹などを彫刻した玉飾りは、自らの氏族の特有な神霊能力、即ち生まれ持った「徳性」を示すために身に付けられ、同時に儒家によって、美しい玉には仁、義、智、勇、絜など「君子の徳」が備わっていると解釈されました。

六朝、隋、唐の時代になると、押し寄せる異文化の洗礼を受け入れ、玉器芸術にも大きな変化が現れます。宋、元代には文人階層が形成され、自然への理解、人文の協調、写実と迫真を求める芸術精神に傾倒し、玉もまた神霊と通じ合う神秘的な色彩は褪せ、玉を徳に比する儒学の教えを脱却しました。しかし、古代の礼制を崇め、法統を重んじる気風の中で、再び玉器を古代になぞらえる風潮が興り、玉彫は宋元文化の精華を呈しました。

明、清両朝は、数多くの工芸技術が飛躍的な進歩を遂げた時代です。明代中期以降、江南経済が高度な発展を遂げ、文人や裕福な商人の賛助の下で、玉彫はさらに精巧なものとなりました。また、清朝が回部(東トルキスタン)を征服し、玉の採掘を直接支配するようになると、皇帝主導の下で玉彫は空前の繁栄を迎えることになります。

総じて、この八千年の発展において、玉彫は中華民族の天を敬い祖先に倣うという宗教倫理を体現し、中世期以降は形と精神を兼備した写実的な手法が絶頂期に達し、中国文化が格物致知の研究を重視する伝統を裏付けました。「敬天格物」は、中華民族の特性を解き明かし、同時に中華の古玉の最も深い内容を説明しているのです。

 

下写真は「清 景徳鎮窯 藍地描金粉彩游魚文回転瓶」です。
内瓶を回転させると、典雅な金彩が施された外瓶の窓から魚が泳ぐ愛らしい文様がのぞく仕組みです。絵画のように繊細で優美なその文様表現は、西洋の無線七宝の技術に基づいた賦彩(ふさい)法「粉彩」によるものです。趣向を凝らした乾隆官窯の名品です。

 

次は2階です。

201 205 207 土の百変化-中国歴代陶磁器展

陶磁器は文明の象徴です。石を採掘して泥にし、ろくろでひいて形を作り、釉薬を施して色付けをし、それを窯に入れて焼成すると、柔らかな土は硬い陶磁器へと変わります。それはまるで土の百変化そのものです。すべての陶磁器作品の背後にある文化的な要素が、形や釉色、装飾文様に豊かで多様な姿を出現させたのです。つまり、皇帝、製作監督、職人、そしてそれを使用する人々がともに、その時代のスタイルを築き上げてきたということができます。陶磁器の魅力は、長い歴史の記事の脈絡に呼応してきた点と窯業発展の道筋の中に異なる文化の相互交流を見ることができる点にあります。

国立故宮博物院が所蔵する陶磁器の多くは、清代皇室のコレクションを受け継ぎ、台湾に運ばれてきたものです。北京、熱河、瀋陽の三カ所の宮廷に収蔵されていたこれらの陶磁器には、いずれもはっきりとした収蔵番号があるため、もともと陳列されていた場所を知ることができ、ほかの公私立博物館には見られない顕著な特色であると言えます。この博物院は宋代以前の陶磁器を多く所蔵していないものの、世界に誇る宋代の名窯、成化の豆彩、清代盛世期の磁胎画琺瑯、および明清各朝の官窯磁器を収蔵しています。
下写真は「北宋 汝窯 青磁無紋水仙盆」(205)です。宋代五大名窯のひとつで、汝窯で磁器がつくられたのは二十数年と短く、現存作品は三十数点と少ないです。乾隆帝は特にこの作品を気に入り、底に誌を書いています。

 

下写真は「北宋 汝窯 蓮花型温碗」(205)です。朝廷御用達汝窯の青磁は表面に細かい貫乳がはいるのが特徴で、「青磁の冠」、「天の色」と称されています。

 

下写真は「宋 定窯 白瓷嬰兒枕」(陶製 童子枕)です。有名は枕ちゃんです。

 

下写真は「清 雍正帝」です。

 

下写真は「清 光緒帝 緑地魚龍図花式瓶」です。

背が高く厚みのある大瓶で、瓶の形が愛らしい8枚の花弁の花型になっています。表面には鮮やかな黄緑の色釉がたっぷりとかけられ、現代的な風格が感じられます。両側に獣耳型の環が付いていて、腹部の前後に菱花型の開光があり、枠の中に魚と龍が浮き彫りにされています。雲間に遊ぶ五爪の龍、波涛から躍り出る鯉、「魚躍龍門」には、立身出世の吉祥の意味が込められています。

 

下写真は「明 永楽窯 青花蟠龍天球瓶」(207)です。青花は永楽帝時代に栄えたもので、西域から良質のコバルトの流入とイスラム美術の影響により最盛期を迎えます。

 

次は1階です。

106 集瓊藻—故宮博物院所蔵珍玩精華展

「集瓊藻」とは清の乾隆帝が所蔵していたある多宝格の名称で、貴重ですばらしい品物をたくさん集めるという意味があります。当博物院が収蔵する珍玩類の文物は琺瑯、服飾、文具、漆器、法器、彫刻、多宝格など各種が含まれ、種類は多岐にわたり複雑で、精良なものばかりです。しかも収蔵数が豊富なため、清朝宮廷における収蔵品の重要な一面を担っています。

下写真は「九層象牙球」です。1本の象牙から作られ、継ぎ目がありません。内部は21層もあり、ひとつひとつが回転し、その製法は秘密とされたため、現代では再現できないとのこと。

 

素晴らしい一品です。

 

今回、いろいろ紹介させていただきましたが、時間がない場合は3階から次の部屋を見られるといいと思います。

・301 西周 毛公鼎」、宗周鐘

・302 清 翠玉白菜」、清 肉形石

・304 雕橄欖核舟

・306 「清 景徳鎮窯 藍地描金粉彩游魚文回転瓶

・205 「北宋 汝窯 青磁無紋水仙盆」、「北宋 汝窯 蓮花型温碗

・207 「明 永楽窯 青花蟠龍天球瓶

・106 九層象牙球

☆:三大至宝

★:五大至宝(☆含む)

 

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