今回は、私が好きな絵「デルフトの眺望」があるマウリッツハイス美術館を紹介させていただきます。
この記事を書くにあたり、インターネットで調べたのですが、基本的に紹介された作品数が少なく、作品説明も少なく、その作品価値(なぜ名画なのか?など)も述べられていませんでしたので、次の方を対象に記事を書いてみました。
①今後、訪問するので、事前情報を知っておきたい
②マウリッツハイス美術館の所蔵品を知りたい
(インターネットでも多数の絵とタイトルと説明が書かれているのはほとんど見当たらなかったです)
③作品の詳細のタッチ・表現をみたい
(インターネットでも名画のアップした写真は見当たらなかったです)
④作品の価値を知りたい
(絵をみてもなぜ名画なのかがわかりづらいね。)
さて、この美術館の正式名はマウリッツハウス王立美術館です。
意外に空いていて30分前でも並んでおらず、開館一番乗りができました。
この美術館の一番人気のフェルメール『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』(1665年頃)を見に行きました 一番乗りです。
2012年に東京都美術館でこの絵を、並んで、歩きながら観ましたので、ゆっくり観れて感激です
この絵は『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』とも呼ばれています。
口元にかすかな笑みを湛えるかのようにも見えるところから「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」とも称されています。
フェルメールは1675年に43歳で破産同然で死去したので、残された作品も競売にかけられるなどして散逸しました。
『真珠の耳飾りの少女』は1696年に競売にかけられ、1881年まで所有者は転々としましたが、フェルメールの希少な作品が海外に流れるのを防ごうとしてきたヴィクトール・ド・ステュエールの説得に応じたデ・トンブは、ハーグのオークションにてわずか2ギルダー30セント(およそ1万円)でこの絵を購入できました。
デ・トンブには相続人がいなかったため、この絵をマウリッツハイス美術館に寄贈し、以後ここに所蔵されています。
現在取引きされるなら、その価格は100億円とも150億円とも言われます。
次はこの旅行の一番見たかった「デルフトの眺望」です。
写真でも少しお分かりになると思いますが、実際にみると「輝いている絵」で、実物は素晴らしすぎです これはモネの「日の出」以来の衝撃です。
この絵はまだ都市を描いた風景画が一般的でなかった時代に描かれました。
フェルメールの故郷であるオランダのデルフトを描いたものです。
作品の科学的な分析によってフェルメールはこの絵にごく限られた数の絵の具だけを使用し、
その原料は鉛白(塩基性炭酸鉛を主成分とする古来からある白色顔料)、イエローオーカー、天然のウルトラマリン、セイヨウアカネなどです。
フェルメールによるデルフトの風景を描いた作品は現在知られている限りでは三枚あり、《デルフトの家》は消失し、他に現存しているものは《小路》(アムステルダム国立美術館蔵)で、以前紹介しました。
デフルト眺望はお気に入りでたくさん写真を撮りました。
船のアップです。タッチが独特です。
次は誰の絵かおわかりになりますか?
実はフェルメールの絵で、「ディアナと妖精たち(ニンフたち)」です。
彼にとって、神話画はこの1点だけで、20世紀に入ってからフェルメール作品と認定されました。
『ディアナとニンフたち』には、ギリシア神話の女神アルテミスと同一視されるローマ神話の女神ディアナと、侍女である4人のニンフが描かれています。
フェルメールの3点の名画につづく、次の名画はレンブラントの出世作『テュルプ博士の解剖学講義』(1632年)です。
この絵は著名な医師のニコラス・ピーデルスゾーン・トゥルプ博士が絞首刑になった矢作り職人アーリス・キントの解剖講義を受ける医学専門家たちを描く集団肖像画で、有力者も出入りする外科医組合会館の展示のためにレンブラントに注文したものです。
そこでレンブラントは従来からの「注文者を記念写真のように描く肖像画(注文者から不満がでないように平等に描く)」ではなく、「解剖の講義」という主題において、解剖を興味深くみることで見学者(注文者)の見識の高さと熱心さを表すことで、その熱心さが鉗子で腱をつまむトゥルプ教授の威厳を高めています。
レンブラントは「解剖の講義」の場面を、注文者の熱心さと博士の威厳を劇的に描くことで注文者を満足させ、今までの集団写真のようだった肖像画の芸術性を高め、彼の意欲作であり、出世作でもあり、代表作になっています。
このように考えて、下の写真を人の表情を考えながら見ると、この絵の素晴らしさが、より理解できると思います。
レンブラントの「自画像」(1669年)です。 レンブラントは多くの自画像を残していますが、レンブラントの最後の自画像です。レンブラント自画像の集大成となる作品となるのでしょうか。
レンブラント『老人の肖像』です。
この老人は両手を椅子のアームレストに載せ、帽子は曲り、上着のボタンは外れ、ありのままを描いています。
次はヘラルト・テル・ボルフの『手紙を書く女』です。
ヘラルト・テル・ボルフ(1617~1681)は、フェルメールと生前より親交があった人物で、テル・ボルフの方が早く生まれ、遅くなくなっています。
テル・ボルフのこの『手紙を書く女性』はフェルメールの『手紙を書く女性』のもとになっていると思われます。
次がフェルメールの『手紙を書く女』です。テル・ボルフとどちらがお好きですか?
私はテル・ボルフのほうが出来がよいように思います。
テル・ボルフの方は手紙に集中してる姿に好感を持て、何を書いてるんだろう?っていう気持ちがわき、イヤリングが絵の中でいいポイントになっています。
ヤン・ステーンの牡蠣を食べる少女です。
この絵のポイントは女性の目と牡蠣と左奥の使用人らしき人。
牡蠣は当時は媚薬と思われており、それを考えて、彼女の目を考えると、彼女は絵をみる貴方を誘っています。
後の使用人はお嬢様が誘っているのに気づいてないので、この絵を観て、ドキドキする人もおられるかもしれません。
絵の構成や技量も申し分のない傑作だと思います。
次もヤン・ステーン。「この親にしてこの子あり」です。
ステーンは「この親にしてこの子あり」ということわざを絵にしました。
このことわざの意味は、「悪い見本が悪い行動を生む」ということです。
左手に座っている女性は胸元を大きく開け、グラスに酒を注がせています。右手では、父親が笑いながら子供にパイプの吸い方を教えています。この父親は、ステーンの自画像です。
ステーンは、ことわざをユーモラスに表現できるだけでなく、床に置かれた陶器の水差し、スカートの布地、グラスに注がれるワインなど見事に描いています。
次はヘンドリック・アーフェルカンプ 「氷上の遊び」(1610年頃)です。アーフェルカンプは、オランダで初めて冬景色を専門に描いた画家です。彼は人生のほとんどをカンペンという町で過ごしました。また耳が不自由であったため、「カンペンの静かな人」と呼ばれました。
ちなみに冬景色といえばピーテル・ブリューゲルの「冬の狩人(雪中の狩人)」(1565年)が有名ですね。
この絵は「氷の上の遊び」というオランダ特有の風習を描いています。
人々が何をしてるんだろうと好奇心がわいてきます。
下の絵は氷の上で、人々はスケートをしたり、ソリに乗ったり、「コルフ」と呼ばれるアイスホッケーに似たゲームに興じています。
下の絵は橋の手前には、ひっくり返ってスカートの中が丸見えの女性もいます。
下の絵は氷の中に落ちてしまった人たちを助けようとしてる人が描かれています。
ヤン・ブリューゲル、ピーテル・パウル・ルーベンスという巨匠同士の合作「アダムとイブの堕落 地上の楽園」。
左半分はルーベンス、右半分はヤン・ブリューゲル(バベルの塔の大ブリューゲルの次男)が担当し、全体構成はヤン・ブリューゲルが考案し、当時の両者の得意分野を担当し、両者の持ち味を活かしつつ高め合った傑作です。
アダムとイブ。楽園の善悪の木の実は、禁断の実であって、それを食べると死ぬと言われていました。しかし、イブは禁断の実を食べて、アダムにも渡してしまいます。
二人の間には、男性のシンボルであるオジカが描かれ、二人の上の、善悪の木の枝には、オオムの番いがとまっています。
エヴァの足元には神の鳥・長寿のシンボルの孔雀が歩いています。
イブは蛇に誘惑されて、禁断の実を食べてしまいます。
右半分はヤン・ブリューゲルが担当。
フランス・ハルスの「笑う少年」。
フランス・ハルスが1618年頃から1630年頃まで様々な人々の豊かな表情を描写した代表作品のひとつです。
直径が30cmに満たない小作でありながら、描かれた少年には生命感に溢れ、同時代の画家には見られない作品です。
アンブロジウス・ボスハールトの『窓辺に置かれた花瓶の花』(1618-1620年)です。
花の静止画で有名な画家で、アントウェルペンで生まれましたが、プロテスタントに対する迫害を避けて故郷を離れ、ミデルブリフに移り、このデン・ハーグの地で亡くなりました。
ルーベンス「聖母被昇天」の下絵(1626年頃)です。
「聖母被昇天」は、聖母マリアの霊魂がその肉体と共に天に上げられる様子を描いた宗教画で、本作品はその下絵です。
ルーベンス「聖母被昇天」はアニメ「フランダースの犬」最終回で、「キリスト降架」とともにネロとパトラッシュが天に召されるシーンで取り上げられたことでも有名です。
今回の旅行で後日、ベルギーアントワープで観ましたので、別の記事で紹介させていただきます。
ルーベンス《老女と蝋燭を持った少年》(1616-17年)
老女はロウソクに手をかざし、まぶしい光から目を守りながらじっと前を見据えています。その後ろから、少年が老女の肩越しに自分のロウソクに火をつけようとしています。
光から闇への移ろいは、若さから老いへの移ろいであり、死が近くなってきた老婆のろうそくから少年の新しいろうそくへ炎が移されようとしています。
このように光と影の構成で立体感を強調し、モチーフを際立たせようとする手法は、イタリアのカラヴァッジオに始まり、ルーベンスへ伝わり、そしてフランスのラ・トゥールへと続いていき近代へ引き継がれていきます。
光と影の絵画の歴史において本作品は重要な位置づけにあります。
右の絵はパウルス・ポッテルの「雄牛」です。
今ではこの美術館は「フェルメール美術館」の異名すら持っていますが、19世紀においては、この「雄牛」がこの美術館の目玉でした。
横幅が3m以上もあるこの作品は、型破りの超大作で、地平線が見える広大な農地と、地平線に突き出た教会の尖塔。
そして灰色の空の下で飼われた牛と羊の親子、動物の世話をする農夫の姿は、まさに牧畜国オランダの象徴のような作品です。
ヴィレム・ファン・ハーフトの「アペレス、カンパスペを描く」です。
この絵は絵画収集家の家の絵ですが、このテーマは絵画の歴史とオランダ画家たちへのオマージュなのです。
マウリッツハイス美術館の所蔵品はいかがだったでしょうか?
行ってみると思ったより素晴らしい絵が多く、「デルフトの眺望」がメインでしたが、とても楽しめました
■オランダ・ベルギー旅行の記事一覧は次からご覧ください。
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