今回はフェルメールの故郷「デルフト」の街歩きを紹介させていただきます。
デルフトはマウリッツハイス美術館があるデン・ハーグの南に隣接した広域市街地で、デルフト工科大学があり、学生街でもあります。
このデルフトに、16世紀初め、イタリアから陶器であるマヨリカの製法が伝わり、17世紀にはオランダ東インド会社などを通じて輸入された中国陶器や日本の伊万里焼に影響を受け、デルフト独特の陶器が発展、生産が行われました。
青を用いて彩色され、デルフトブルーと呼ばれ、デルフト焼(デルフト陶器)として今でも生産されています。
デルフト陶器です。写真はウィキベディアより(ロシア・プーシキン美術館所蔵)
ニーゲ・ランゲンデイク通りから新教会に向かっています。
ガイドさんが言うにはここがフェルメールが「小路」を描いた場所。
今、「小路」と比較してみるとなんか怪しい・・・
新教会の近くのSushipointというお寿司やさん。デリバリーするようでバイクが多いです。
アメリカ風ですね。でも高いです![]()
新教会が見えました。
新教会は1381~1510年にかけて建設され、鐘楼は108.75メートルの高さがあります。
この教会にはオランダ建国の祖ウィレム1世を始めとするオランダ王家一族が眠る場所です。
また、国際法の父と呼ばれたデルフト生まれの法学者フーゴー・グロティウス(1583~1645年)が葬られています。
フェルメールはこの新教会で洗礼を受けています。
なぜこんなハートは
!?
これは新教会のとなりに、ブルーのハート形モニュメント「デルフトの心臓」があり、デルフトの中心部分であることを表しています。
でも由緒ただしい教会の横にこんな近代的なものがあってるようには・・・。
次は旧教会です。
アウデ・デルフト運河沿いに13世紀に建設されたとても古い教会です。
旧教会の鐘楼は1325~1350年にかけて建設されたもので、75メートルあります。
この教会にはフェルメールが埋葬され、フェルメール家の墓石はありませんが、没後300周年を記念して埋め込まれた記念碑があります。
ここがデルフトの中心に「マルクト広場」です。この広場に新教会、市庁舎、旧教会が面しており、毎週木曜にマーケットが行われています。
市庁舎です。フェルメールはこの市庁舎で結婚し、結婚を機にカトリックに改宗しました。
市庁舎の裏側に位置する「Het Steen」と名付けられた塔は、かつては牢獄として使用されていました。
時期によって、中世の拷問道具や牢獄の様子を完全予約のガイドツアーで見学することができます。
旧教会からアウテ・デルフト通りからフェルメールの「デルフトの眺望」が描かれた場所に向かいます。
途中、アウテ・デルフト通りにあった立派な建物です。
アウテ・デルフト通りです。
運河の街って感じがしますね。
このデルフトの賃貸住宅です。月に1650ユーロって高いですね。
ここがデルフトの眺望が描かれた場所です。
上と比較していかがでしょうか?
1654年10月12日には、弾薬庫の40トン以上の火薬が爆発しデルフト市街の4分の1が破壊され、死者100人以上、数千人が負傷する大惨事が起こったため、建物はだいぶん建て替えられています。
フェルメールの友達の画家であるカレル・ファブリティウスがこの爆発で犠牲者となってしまいました。
ご参考のため、「デルフトの眺望」と「小路」を描いた場所の地図を添付します。
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