セネガル旅行~世界遺産ゴレ島~

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夏休みにセネガル・ガンビア(略称:セネガンビア)を11日間の旅行をしまして、訪問国は107ヶ国となりました。

 

今回は世界遺産「ゴレ島」を紹介いたします。

セネガル共和国の首都ダカールの沖合い約3kmに浮かぶ島(東西300m、南北900m)で、1815年に統治国のフランスが廃止するまで、奴隷貿易の拠点として栄え、かつての奴隷収容所が島内に残っています。

 

ゴレ島は大西洋奴隷貿易の最大の拠点となっていて、ルーツ(著書や2度のTVドラマ化)で有名なクンタ・キンテ島の多くの奴隷は一度はゴレ島に連れられていました。

 

黒人奴隷貿易については次からご覧ください。

『奴隷貿易その1~はじまり編~』
 前回はガーナの歴史とアシャンティ王国についてでしたが、今回は奴隷貿易についてです。  奴隷貿易といえば、皆さん、何を思い浮かべるでしょうか。?  奴隷貿易は…

 

ゴレ島には首都ダカールから定期船に乗っていきます。

セネガル人、アフリカ住民、それ以外で料金が違います。

 

待合室です。

 

定期船の発着所です。

 

 

 

20分ほどでゴレ島に着きます。

島内は今はのどかで大西洋はとても透明度が高いです。

 

ゴレ島で一番大きなバオバブの木です。

 

 

 

 

一番の観光スポット、1786年建造の「奴隷の家」へ。

この奴隷の家は2階建てで、1階には奴隷が収容されていた窓のない部屋や、奴隷としてアメリカ大陸に送られる際に通ったという「帰らずの扉」などが、2階には奴隷貿易に関する説明パネルや拘束具、銃などが展示されています。

 

まずは1階から。幼児用の部屋。

 

男用の部屋。

 

 

 

 

帰らずの扉をでた風景です。

 

2階からみた大西洋

 

2Fの展示室

 

 

 

 

1Fの事務所に過去の訪問者の写真がありました。

 

クリントン元大統領

 

ブッシュ元大統領

 

オバマ元大統領

 

以上、アメリカの大統領が訪問していますが、実は奴隷の家でなく、「シニャールの屋敷」でした。

シニャールはフランス人男性と現地人女性の間にできた混血女性と呼ばれ、ヨーロッパ人との接触を通じて裕福になった女性でした。

 

私は象牙海岸のガーナなどの奴隷貿易の場所(ケープ・コースト城など)をみてたのですが、ゴレ島では悲惨な奴隷収容された場所は見れなかったです。

 

「『罰を与えるための部屋』だった狭い部屋に入ったマンデラ大統領は、10分間泣いていた」といっていましたが、各国の首脳が来て、セネガル国家が騙しているのはいかがなものかと思いました。

シニャールの屋敷という情報は在セネガル日本大使館調査員である「小川了」氏の著書のP212に記載されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴレ島のアーティスト

 

 

 

 

 

ゴレ島の教会内部

 

 

 

 

 

ダカールに向かう船があります。

 

 

 

 

ゴレ島はいかがだったでしょうか?

 

次回は世界遺産サン=ルイを紹介いたします。

 

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