2017年2月にコンゴ民主共和国、コンゴ共和国を旅行しました。
今回は朝からコンゴ民主共和国(DRコンゴ)を出国して、コンゴ共和国(コンゴ・ブラザヴィル)に入国し、ブラザヴィル観光までを紹介させていただきます。
ホテル出発すると再度、ロボット信号。
これからDRコンゴ出国~船で移動(15分ほど)~コンゴ・ブラザヴィル入国ですが、所要時間はなんと4時間30分。とても大変でした
というもの、文句をつけてお金をとろうとする公務員ばかり。
コンゴ共和国の人が言ってたことですが、コンゴ民主共和国(DRコンゴ)には入国が大変なので行ったことがないとのこと。対岸にあってとっても近いのですが。
現地人でも大変な入出国。
現地ガイドを雇っていたのですが、それでもDRコンゴ出国は難しい国です
まずは出国をスムーズにすすめるために、コーディネーターを雇います。
普通ではありえないのですが、コーディネーターをいないと嫌がらせをうけて、出国妨害されます。
コーディネーターに連れられ、出国手続きをするのですが、なんと個室で審査。
個室には中年女性、おじさん、おばさんなど10名ほどもいます。
この密室に居て、コーディネーターの意味がわかりました。
コーディネーターがいないとこの密室で審査官の家族・親戚であら捜しをしたり、文句をつけて足止めをしたり、出国を阻止したりして、賄賂・チップを要求するようになっていたのです。
私はコーディネーターの口添えで荷物検査がなく、出国になりましたが、DRコンゴって恐ろしい国です。。。
最後のコンゴ共和国出国でもフライトチェックインから早速コーディネーターがいて、荷物の大きさ検査、手荷物検査、X線検査と4度も賄賂を要求されたのです。
ほんとめんどくさい国です。
こんな公に賄賂を要求する公務員はいるでしょうか。
車の移動でも警察官に賄賂を要求されるし、コンゴはやばすぎです
話を戻し、DRコンゴ出国後、船にのりコンゴ共和国に入国。
ここではコーディネーターを雇わなかったため、嫌がらせを受け、とても時間を使いました。
審査官に文句をつけられてもめてたら、別の審査官がでてきて、仲裁をしてきたのですが、結局、二人の審査官に賄賂を渡すことに
結局、4時間30分も入出国に時間を使うはめに。
いままで100ヶ国旅行しましたが、賄賂を要求されるのはたくさんありましたが、実際に賄賂を渡したのはグアテマラからベリーズの車での入国審査のみです。
審査官が一人のみでそういう羽目になったのですが、DRコンゴ、コンゴ共和国は人が周りにいても賄賂を要求するし、密室に連れ込んでの審査を国が許可しているのもおかしすぎる
入国して、12時すぎてたので、まずはレストランへ。ブラザビルではタクシーをチャーターしました。
バーガーショップに。
お昼からしっかりお肉とコンゴ製ギネス。ギネスはやはりうまい これで約1600円くらいなので、日本並みに物価。現地の人には高すぎます。
最初の観光はブラザメモリアル。
上の象はピエール・ブラザ(正式名:ピエール・ポール・フランソワ・カミーユ・サヴォルニャン・ド・ブラザ Pierre Paul François Camille Savorgnan de Brazza)です。
彼はイタリア系フランス人の探検家1852年1月26日 -1905年9月14日。
イタリアのカステル・ガンドルフォで生まれ、のちにフランスに帰化し、パリ地理学会の支援により、コンゴ川流域を探検し、中部アフリカのフランスによる植民地化に重要な役割を担いました。
現在のコンゴ共和国の首都であるブラザヴィルは、彼の名にちなんでいます。
彼の遺体は2006年にこのブラザヴィルに戻され、輝かしい業績を記念して建てられました。
建物内部です。
彼の探検時の写真です。
当時のブラザウィルの住居を復元しています。
カテドラル(正式名:La cathédrale du Sacré-Cœur)は1894年に建てられ、ブラザヴィルの中心部にある中央アフリカで最も古い大聖堂です。
この教会は市民の憩いの場でもあるようです。
近代的な橋もあります。中国が作った橋で、Pont du Djouéと呼ばれてます。
コンゴ共和国のタクシーです。コンゴ民主共和国(DRコンゴ)では小さいタクシーは少なく、大型の乗り合いタクシーが多かったです。そのため、DRコンゴは大型乗り合いタクシーがどこでも止まり、道をふさぐため、交通渋滞の原因になっていました。
ディナーはここで食べました。味はまずまずって感じでした。
今夜のビールはワニのラベルのビール。味はぼちぼちです。
毎日ビールを飲んでますが、象、レオパード、ワニと動物のラベルが多いです。
■コンゴに関する記事は次から見てみてください。
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