多古町城郭ウォーキングツアーのご紹介

◎山城
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日本一の御城印のまち 多古町城郭ウォーキングツアーに参加しましたので紹介します。

感想:多古城・多古藩陣屋跡・志摩城・並木城のツアーでこの多古地区を歩いて周ることでこの地域、山城の立地・周辺をよく確認できて、とても楽しかったです。
また、珍しい山城を知ることもできてよかったです!
今後、各々の山城は後日、アップしていく予定です。
多古町の位置の確認です。
東京の東で、香取市の南です。

■ウォーキング・見学ルート

■ツアー概要
日程:2023年3月5日
多古城郭保存活用会・千葉城郭保存活用会共催
ガイド:千葉城郭保存活用会代表 三室氏
歩行距離:約11km
観光時間:約6時間30分

■ウォーキング・見学行程
多古台バスターミナル集合、9:45出発
①多古城(堀切・土塁・物見台):詳細はコチラ ※バーチャル城攻めが楽しめます!
②多古藩陣屋跡(石垣・土塁):記事作成予定
ランチ12:40出発
③正覚寺(お寺の説明、島地区のビデオ視聴、展示説明):記事作成予定
④島地区の群郭めぐり:記事作成予定
⑤志摩城(群郭、堀切、土塁、港跡):記事作成予定
⑥並木城(堀切、土塁、2つの虎口):記事作成予定
⑦多古道の駅あじさい館 17:00ごろ解散

■多古地区の重要性
多古地区は中世では、千田荘(千田庄、ちだのしょう)という荘園で、『吾妻鏡』治承4年9月14日条[1]に「下総国千田荘領家判官代親政」の記載が千田荘の初見とされていて、藤原親政(千田親政)は皇嘉門院判官代とされています。藤原親政は十二世紀の後半、平家政権との姻戚関係を背景にして千田荘と匝瑳北条に本拠を置いて在地武士団を膝下に置いたようです。

とくに藤原親政の姻戚関係が注目点で、妻が平清盛の姉妹、妹(二条院内侍、叔父の藤原親方の娘とも)が平重盛(平清盛の子)の正室となって平資盛を生むという平氏政権ととても深い関係にあり、平氏政権が多古を重要地とみていたことがとれます。

その重要地の理由の一つが次にあると思い、紹介します。
「多古三城及び多古藩陣屋について」(千葉県城郭保存活用会代表小室氏千葉県城郭保存活用会代表小室氏)によると、海の難所だった犬吠埼を避け迂回するため、栗山川⇒借当川⇒椿海⇒香取の海という中世期の内陸太平洋航路水運ラインがあり、多古は重要性を主張されています。
文献(国立歴史民俗博物館教授 青山宏夫)では椿海を中心とした水上交通ルートについて仮説を立てられてました。

■各見学先での写真紹介
①多古城(堀切・土塁・物見台):多古城の記事はコチラ

②多古藩陣屋跡(石垣・土塁):記事作成予定

③正覚寺(お寺の説明、島地区のビデオ視聴、展示説明):記事作成予定

④志摩城(堀切、土塁、港跡):記事作成予定

⑤並木城(堀切、土塁、2つの虎口):記事作成予定

 

 

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最後までよんでいただきありがとうございます。

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