今回、紹介する長野県の山城リストアップには時間がとてもかかりました。
そこで都道府県別おすすめ山城紹介は読者の方に役立つ情報と思い、この企画をつくりました。このコンセプトを以下にまとめました。
都道府県別でおすすめ山城は和歌山県、滋賀県、埼玉県に続き、今回は甲信越初の記念すべき県は「長野県」
現存する山城からベスト6(+行けなかった山城候補)をランキング形式で紹介します。
ランキングについては、今までの訪問による感想がメインですが、他にインターネットの口コミ、所持している本(最後に記載)を参考にしました。
この長野県は車で2日間でまわるお城候補を以下のマップにまとめ、遠征しました。
15候補中、10候補は行け、5候補は未訪問となりました。(平城に行かず、3日間が必要でした)
※葛尾城と鞍骨城は行きたかったのですが、葛尾城への道中に倒木があり、車ですすめませんでした
※長野県北部はいい山城が多く、効率的にまわれ、武田信玄、上杉謙信、村上義清の合戦舞台を見たかったため、今回は長野県南部は対象外しています。
◆長野遠征での攻略候補のオリジナルマップ
1位 松尾古城 (松尾城)
真田盆地の最北に位置し、急峻な崖をもつ尾根に築かれた難攻不落で、真田最強と思わせる山城。城主は真田幸村という伝説。
見どころが3点です。
①細い尾根と両側の崖
②幾度も現れる石塁(平らな区画)
③主郭方向の大堀切
2位 麻績城
細く長い尾根に築かれた山城。信濃の要所に位置したため、武田氏、上杉氏、小笠原氏(信濃守護大名)の間と幾度も争奪戦が繰り広げられました。
入口はわかりずらく、整備されていないため、ドキドキ感がかなりあります。
主郭からの眺望はとてもいいです。
3位 青柳城
青柳城址公園として整備され、模擬城門などが復元されています。
この地の豪族「麻績氏」の一族である青柳氏の城で、曲輪、堀切など遺構もよく残っていて、一の曲輪には小笠原貞慶時代の布目積みの石垣を見ることができます。
4位 砥石城(戸石城)&尾根沿いに他3城あり、総称して砥石・米山城
砥石城は砥石のような南西の崖しかないという城で、武田信玄vs村上氏の戦いで、信玄はぼろ負け、いわゆる”砥石崩れ”と伝わる歴史上、名高い山城です。
武田軍兵力7000人、砥石城兵は500名で圧倒的に優位であった武田軍でしたが、堅城である砥石城と城兵の果敢な反撃の前に苦戦しました。
その間に村上義清は対立していた高梨氏と和睦を結び、自らが2000人の本隊を率いて葛尾城から救援に駆けつけ、挟み撃ちをしました。
たまらず武田信玄は撤退しますが、村上軍の追撃が激しく、武田軍は1000人近い死傷者を出し、信玄自身も影武者を身代わりにしてようやく窮地を脱したと伝わっています。
村上義清はこれで上田原の戦いにつづき武田信玄に2連勝です
武田信玄の戦歴は50勝2敗20引き分けで、負け率2.5%の信玄に勝った武将は村上義清のみ
武田軍は一番南の米山城を主に攻めました。多分、他の3城に比べ落としやすいと判断したと思います。砥石・米山城がどれほどの堅城か、是非、見に行ってください
ちなみに米山城の名前に由来があります。
武田軍が米山城攻略で水の手を断ちました。しかし米山城では馬を水で洗っていました。
武田軍は米山城の水の手は他にもあるのかと思いました。
実は米山城は水が不足していたのです。それを悟られないように、馬には水ではなく、白米をかけていたとのことです。そこから米山城となったと伝わっています。
おまけ:砥石城は真田幸隆の調略によって落城し、これによって武田軍に寝返る武将が増え、村上義清は葛尾城を捨て、上杉謙信のもとに「助けてぇ~」と逃げました。
これから武田信玄vs上杉謙信の川中島の戦いがはじまります。
もし、真田幸隆が砥石城を攻略していなかったら、武田信玄の信濃征服が遅れ、もしかして武田信玄vs上杉謙信はなかったかもしれないです。
5位 旭山城
旭山城は川中島の戦いで重要な役割を果たし、武田信玄、上杉謙信ともにこの城を改修してますので、興味深い山城です。
案内板は見つかりませんでしたので、縄張り図はございません。
小規模ですが石塁がいくつかありましたが、全体的に遺構ですごいというようなものはなかったです。
◆旭山城の歴史
第二次川中島の戦い(1555年)
善光寺別当栗田鶴寿(栗田寛久)は武田信玄と通じ、鉄砲300と弓800、兵3000の支援を受けて善光寺西側の旭山城に籠もりました。
一方、上杉謙信は、善光寺東側の横山城に陣を構えていましたが、付城となる葛山城を築きました。
対陣は数ヶ月に及びましたが、今川義元の仲介で旭山城の破壊を条件に和議が成立しました。
旭山城と葛山城が向かいにあると実際に行かれるとワクワクされると思います。
第三次川中島の戦い(1557年)
武田軍が旭山城は壊したので、今度は上杉謙信の城であった葛山城を急襲し落城させます。翌年、上杉謙信は雪解けを待って出陣し旭山城を再建し本陣にしました。(武田信玄の本陣は深志城(松本城)⇒善光寺と推定されてます)
主力同志の合戦はなく、13代将軍足利義輝の仲介で和議が成立します。
前回のお城が武田・上杉で逆になってるのは驚きです。
旭山城と葛山城をどちらを優先するかを考えた結果、武田信玄と上杉謙信が本陣を置いた旭山城を優先しました。そして葛山城は時間があれば行くということで次の山城を目指しました。
第四次川中島の戦い(1561年)
越後軍の小荷駄隊が
越後にひきあげ中、武田軍の追撃があり、旭山城の城兵が駆け下り、小荷駄隊を救ったと伝えられています。
6位 林城(林大城、小笠原氏城)
信濃国守護であった小笠原氏の本城です。
あの天下の名城松本城が林城の支城でした。そのため、一度は本城を見られて方がいいと思います。
登場口から主郭に至る尾根上に多数の堀切と曲輪があり、これらの曲輪群を経由しないと主郭まで到達できなかったといわれています。
■おまけ
調査でいい山城候補としてあげたが時間が足らず、行けなかった山城
(⑦~⑨は特に良さそうで4位と同レベルまたはそれ以上と思われます)
⑦葛尾城(かつらじょう):北信で最大の勢力を誇った村上氏の居城
⑧鞍骨城(くらぼねじょう):西北に伸びた尾根の先端部には、上杉謙信が本陣を構えた妻女山(さいじょざん)があり、川中島を直下に見据える好立地
⑨鷲尾城:高さ3m余の石積みを巡らした本丸入口
⑩葛山城
⑪小諸城 100名城
⑫霞城(候補にあげてなかったが、長野遠征後にいい思った山城)
■参考資料
①歴史道 最強の山城ベスト50
②山城歩き徹底ガイド
城記事を以下にまとめましたので、ご覧ください。
- 目次には次のような記事が書いております。
- パプアニューギニアの記事一覧
- ヒトの進化とサバイバルの歴史
ブータンの光と影シリーズ ~ブータンは本当に幸せか?~
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント
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コメント失礼します。
砥石城、行きました。無茶苦茶キツかったです。
甲冑を身にまとい走り回ったであろう往時の人
に想いを巡らせた六年前を思い出しました。
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砥石城、行きました。無茶苦茶キツかったです。
甲冑を身にまとい走り回ったであろう往時の人
に想いを巡らせた六年前を思い出しました。
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砥石城、行きました。無茶苦茶キツかったです。
甲冑を身にまとい走り回ったであろう往時の人
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>楽しいセカンドステージを夢見る男さん
コメントありがとうございます!
砥石城の堅城さを体験されたんですね。
昔の兵は元気だったでしょうね。
尾根沿いに他の山城も行けて、愉しかったです😀
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>楽しいセカンドステージを夢見る男さん
コメントありがとうございます!
砥石城の堅城さを体験されたんですね。
昔の兵は元気だったでしょうね。
尾根沿いに他の山城も行けて、愉しかったです😀
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>楽しいセカンドステージを夢見る男さん
コメントありがとうございます!
砥石城の堅城さを体験されたんですね。
昔の兵は元気だったでしょうね。
尾根沿いに他の山城も行けて、愉しかったです😀