今回は大分の名城・続日本100名城の「角牟礼城」(大分県)の紹介です。
■角牟礼城(つのむれじょう)の歴史
・1280年 豊後から豊前宇佐郡へ通じる交通の要衝の地に、森朝通によって築城
・戦国時代 豊前大内氏と豊後大友氏との争いで、玖珠(くす)郡衆により堅固に修築
・1586年 島津義弘は豊後国への侵攻を開始し、新納忠元を将として玖珠郡に攻め込む。
しかし角牟礼城には、森氏をはじめ魚返・中島・志津利氏などの玖珠郡衆が籠城、島津軍6000は三の丸まで攻め寄せたが、豊臣秀吉の大軍が迫ったことにより撤退
・1594年から日田郡の日隈城主「毛利高政」が角牟礼城を支城として整備
・1601年 久留島氏が入封し、山麓に森陣屋を築いて角牟礼城は廃城となる
これから写真紹介です。
角牟礼城の城下町は日本一小さいといわれ、今は森町商店街に名残りがあります。
豊後森駅から徒歩28分で三島公園に着きます。
三島公園にある末廣神社です。
ここの陣跡に神社がつくられたのですが、陣跡にしては素晴らしい石垣です。
江戸時代に幕府にばれないように修築したとか。
角牟礼城とともにぜひ訪れてください。
三島公園末廣神社の裏の御長坂、牛の首峠を通り、三の丸まで徒歩20分くらいで着きます。
三の丸からの景色 下が城下町「森町」です。
この山城の石垣は穴太衆による「穴太積み」です。
穴太衆とは、戦国時代に活躍した、近江坂本(滋賀県大津市)の石積み職人の集団のことです。
穴太積みは、野面積みを代表する積み方で一見雑な積み方に見えますが、強度・安定性では他に引けを取らない強い石組みを築くことができます。
その秘密は積み石の比重のかけ方にあり、表面から三分の一くらい奥のところに重力がかかるように石の大きさ・形や組み方を揃えています。
西門跡
山城記事を以下にまとめましたので、ご覧ください。
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目次には次のような記事が書いております。
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ブータンの光と影シリーズ ~ブータンは本当に幸せか?~
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント
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全体がコンパクトにまとまっているようでいいところですね。日本一小さな城下町に日本一大きな手水鉢など、見どころもたくさん。近江の穴太衆はこんなところまで出張していたのですね、400年の風雪や地震に耐え当時の姿を今に残す石垣は感動ものです。牟礼がつく地名や人名は九州に多いです、同級生に大牟礼君や小牟礼さんがいました😄
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全体がコンパクトにまとまっているようでいいところですね。日本一小さな城下町に日本一大きな手水鉢など、見どころもたくさん。近江の穴太衆はこんなところまで出張していたのですね、400年の風雪や地震に耐え当時の姿を今に残す石垣は感動ものです。牟礼がつく地名や人名は九州に多いです、同級生に大牟礼君や小牟礼さんがいました😄
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全体がコンパクトにまとまっているようでいいところですね。日本一小さな城下町に日本一大きな手水鉢など、見どころもたくさん。近江の穴太衆はこんなところまで出張していたのですね、400年の風雪や地震に耐え当時の姿を今に残す石垣は感動ものです。牟礼がつく地名や人名は九州に多いです、同級生に大牟礼君や小牟礼さんがいました😄
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>にっさんさん
いつもコメントありがとうございます。
山城以外に見所がたくさんありました。
ご想像どおり、あの石垣は素晴らしかったです!
牟礼は全国に地名があるようですが、人名になると九州らしさを感じます。
私はまだ知り合いにはいませんが、同級生に大牟礼君や小牟礼さんっておられたんですね。
他にも牟礼がつく山城がありましたが、行けませんでした。
また九州遠征に行きたいです!
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>にっさんさん
いつもコメントありがとうございます。
山城以外に見所がたくさんありました。
ご想像どおり、あの石垣は素晴らしかったです!
牟礼は全国に地名があるようですが、人名になると九州らしさを感じます。
私はまだ知り合いにはいませんが、同級生に大牟礼君や小牟礼さんっておられたんですね。
他にも牟礼がつく山城がありましたが、行けませんでした。
また九州遠征に行きたいです!
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>にっさんさん
いつもコメントありがとうございます。
山城以外に見所がたくさんありました。
ご想像どおり、あの石垣は素晴らしかったです!
牟礼は全国に地名があるようですが、人名になると九州らしさを感じます。
私はまだ知り合いにはいませんが、同級生に大牟礼君や小牟礼さんっておられたんですね。
他にも牟礼がつく山城がありましたが、行けませんでした。
また九州遠征に行きたいです!