今回は「埼玉県隠れ名城めぐり日帰りコース」の紹介です!
行程は次のとおりです。
秩父本線野上駅(出発8~9時)→白鳥神社(徒歩29分)→天神山城(てんじんやまじょう、所要時間40分)→白鳥神社(徒歩87分)→諏訪神社→花園城(はなぞのじょう、所与時間60分)→玉淀河原(徒歩30分)→鉢形城歴史館・日本100名城「鉢形城」(所与時間90~120分)→寄居駅(徒歩20分)
※昼食は途中買えませんので、持参してください。
※最後に、徒歩ルートを地図を添付しております。
天神山城は、山城ファンより、廃墟マニアに有名なお城です。
■天神山城の歴史
・天文年間(1532年から1555年)に藤田重利(のちの藤田康邦)が築城
・1549年 北条氏康に重利は従属
・1560年が関東侵攻してきた上杉謙信に従属
・同年9月に北条氏によって落城
・1564年頃に北条氏康の四男である氏邦が入城
(氏邦は1568年から鉢形城に居城を移す)
・1590年の小田原征伐の際に、鉢形落城と共に開城
・1970年、観光を目的として本丸跡に模擬二重櫓(鉄筋コンクリート製)が建設されたが、採算があわず倒産し模擬天守を含む周辺の建物は放置されて、現在、廃墟となる。
秩父本線野上駅(出発8~9時)→白鳥神社(徒歩29分)
登城は白鳥神社の裏側ですが、ルートは不明で獣道状態です。
登山に慣れていない方は危険です。
登っていくとすぐに石垣がありました
道らしきものはあまりないです。うっすら程度。
とうとう来ました!
1970年、観光を目的として本丸跡に模擬二重櫓。完全廃墟。廃墟マニアにはたまらないんでしょうか。
くだりはうっすらした道が見失い、適当に降りました。
登山が苦手な人は危険です。
天神山城(所要時間40分)→白鳥神社(徒歩87分)→諏訪神社→花園城(所与時間60分)
花園城の歴史
平安時代末期、武蔵七党の一つの猪俣党の猪俣政家の子政行は藤田郷に住んで、藤田姓を称するようになったが、その居城としていたのが花園城といわれています。
その後、戦国時代の天文年間(1532~54)に、藤田重利(のちの康邦)が天神山城を築いて居城を移してからも天神山城の支城として存続しました。
秩父への街道を押さえる要衝であり、街道筋には、上・下本宿(かみしもほんじゅく)、小下宿(こげしゅく)、捨人小路(しゅうじんしょうじ)、下宿、蔵屋敷などの城下の名残を残す地名が多く残っています。
この花園城の特徴は大きい4つの二重竪堀があるところで、竪堀が二重になっているのは藤田氏系城郭の特徴といわれています。
一応、ルートの看板がありますが、適当に竪堀を登ってもいけます。
堀切4です。
花園城(はなぞのじょう、所与時間60分)→玉淀河原(徒歩30分)→鉢形城歴史館・日本100名城「鉢形城」(所与時間90~120分)→寄居駅(徒歩20分)
※すでに鉢形城は行ってますので、今回は省略しています。
■お城以外のおすすめスポット
名勝「玉淀」は、荒川が秩父の山地から平野部へ移り変わるところで、この流域沿岸約3キロメートルの地域の総称です。
「玉淀」の名称は昭和6年4月29日に命名され、「玉」は埼玉の玉で、美しいの意味であり、「淀」は水のよどんだところという意味があります。昭和10年3月31日に、県指定名勝として文化財指定を受けています。
荒川の清流を見下ろす、道路に沿って桜の並木があり、国指定史跡「鉢形城」の絶壁と濃い淀み、広々とした浅瀬の河原が独特の景観をつくり出しています
かつての明治の文豪、田山花袋は、この地を訪れ「東京付近ではこれほど雄大なながめをもった峡谷は、ほかにない」と激賞しています。
筆者はここが有名なことを知らなかったのですが、鉢形城の行く途中、きれいな景色があると思い、河原におりました。それくらいきれいなところです。
以下、地図でのルート紹介です。
秩父本線 野上駅→白鳥神社
白鳥神社→諏訪神社
白鳥神社→玉淀河原
鉢形城→寄居駅
皆さん、埼玉の隠れ名城j紹介はいかがだったでしょうか?
山城
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