【和歌山県】おすすめ山城ランキング

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山城巡りでアクセスがよくない「和歌山県」を効率よく、攻略山城候補をあげていただくために、和歌山県山城ランキングを紹介します。

県別おすすめ山城紹介へ~コンセプト編~

和歌山県ベスト5をランキング形式で紹介します。

ランキングについては、今までの訪問による感想がメインですが、他にインターネットの”口コミ”、所持している本(文末に記載)を参考にしました。

1.安宅八幡山城(あたぎはちまんやまじょう)
筆者はこの城が和歌山で一番の山城と思っています。
最寄り駅はJR日置駅(ひき)です。
安宅八幡山城は安宅氏の詰城で南の近くに安宅氏居館がありました。
看板では八幡山城ですが、一般的に八幡山城は続100名城の滋賀県近江八幡市の方をさしますので、ここでは区別するために安宅八幡山城(日置八幡山城とも)と記載します。

日置駅の前に日置川があり、駅の対岸に安宅八幡山城があります。
日置からの安宅八幡山城までの日置川と山々の景色はとても綺麗です。

日置川は熊野山岳地帯に水源をもち、済みきった美しさは「紀伊半島最後の清流」とまで謳われ、鮎やアマゴなどの渓流魚がいます。川の透明度は高く、橋の下からアユがみれました爆  笑

安宅氏居館は何も残っておりません。
安宅水軍は淡路島や和歌山の東端の熊野までの大勢力ももっていました。
————————–豆知識—————————–
他に有名な水軍は伊勢(三重)は九鬼水軍、広島近辺は村上水軍です。
戦国武将はこれらの水軍と組むことがとても重要でした。
例えば、織田信長vs石山本願寺・毛利・村上水軍(石山合戦)では最初、信長は村上水軍に大敗をきし、九鬼水軍に鉄甲船(鉄で覆われた巨大な船)を造らせ、勝利したといわれています。
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入口案内板のイメージ図です。

安宅八幡山城の縄張り図。立派です。
左の真ん中あたりが入口です。

下写真は筆者は入口すぐのところでまっすぐすすんだため、大変な道を攻略してしまいました。(帰るときに間違った場所がわかりました。左に階段がありますがまっすぐすすんでしまいました)
そのため三の曲輪の西側からはいりました。

二と三の曲輪間にあるの空堀はかなり大きい。

石垣もキレイです、

一の曲輪に神社がありました。

一の曲輪です。

このあたりが安宅氏居館で何も残っておりません。
手前の山が安宅八幡山城です。

2.手取城

最寄駅はJR和佐駅です。駅前の案内板です。

手取城まで徒歩30分

秀吉の紀州征伐で手取城城主玉置氏(1600人)は秀吉側につき、反秀吉の湯川氏8000人に攻め込まれ、籠城しました。三日間攻防がつづき、秀吉軍の仙石秀久・小西行長が応援が来たため、湯川氏は急いで手取城に火をかけ落城させました。玉置氏は秀吉軍に助けられ、紀州平定後、再度、玉置氏は手取城主にかえりさきます。しかし、関ヶ原の戦いで西軍につき、戦後、改易となり、廃城となりました。

3.新宮城(丹鶴城)続100名城
最寄駅はJR新宮城。ここは世界遺産神倉神社・熊野速玉大社があり、観光もあるのでおすすめです。
神倉神社:熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地
熊野速玉大社:熊野三山の一つ
歴史民族資料館:続100名城スタンプ設置場所

新宮城は別名、丹鶴城です。もともとこの地に源為義と熊野別当の娘「丹鶴姫」が住まいがあったことからです。
1615年の一国一城令で廃城となりますが、紀州御三家和歌山城がありましたが、新宮城の改修が許され、1619年再築城しました。以後、1633年まで再開発されてました。

無断で少し城改修しただけで改易になる江戸時代でしたが、御三家紀州藩の付家老が城主でしたので可能だったと思います。

この下に備長炭の倉庫(炭納屋跡)があります。
実はこの炭納屋跡がこの城の重要ポイントで、新宮城は軍事施設&経済拠点だったことがわかり、新宮領主は経済的に裕福だったといわれています。
———————-豆知識————————-
備長炭は紀州(現田辺市)の備中屋長左衛門が高品質な炭だったため、自分の名前をとって備長炭と名づけました。人の名前が今も残っているとはすごいです。
炭の材料は「ウバメガシ」(海岸や岩場にあるカシの木)で材密度が高いのが特徴です。
生育地域は房総半島、三浦半島、伊豆半島などです。
さらにウバメガシはやはり和歌山県の県の木です。
備長炭は江戸庶民の重要な燃料源で紀伊から江戸の炭消費量の3割を供給していたといわれています。
また紀伊は捕鯨でも有名で鯨油は行灯の油として欠かせないため、鯨油も江戸に売っていました。

下のほうも石垣があります。

新宮市は続100名城になった新宮城を復元しようとしています。
天守閣の有力情報であれば1000万円の懸賞金までだしています。お城が重要な観光資源という認識ですね。ちなみに他の懸賞金は大手門500万、櫓200万とのこと。

このお城に昭和のころまでホテルがあったとのことで妙な構造になっています。
ホテル名は「二の丸」。ずばりですね爆  笑
ホテル経営時はケーブルカーもあり、日本一短いケーブルカーでもありました。

4.和歌山城 100名城
近世山城のため、リストアップには悩んだのですが、次の点でおすすめにいれました。
①紀州御三家の居城
②豊臣秀長が築城した遺構が見える(徳川時代の石垣が比較できる)
③周辺に雑賀衆のゆかりの地・太田城(番外編で紹介)を一緒に城巡りできる
④紀州征伐(特に秀吉)の歴史に関連が大きい
紀州御三家から将軍になった徳川吉宗の像です。お城の南の不明門を出た少し西に向かったところにありました。

和歌山城について次をご覧ください。後半は和歌山城の写真紹介があります。

【和歌山城】豊臣政権No2がなぜ統治?なぜ紀州御三家が?

5.勝山城【未訪問】
那智大社や熊野古道(中辺路:那智~熊野本宮)の観光と合わせればいいと思います。
和歌山2日間旅行プランの紹介予定で、この中に勝山城を組み込むことができず、筆者は那智大社も熊野古道(中辺路:那智~熊野本宮)の両方とも行っており、他のエリアの山城を優先したく、しばらく訪問しないと思いますので、未訪問ですが、リストアップしました。すみません。
縄張図と本の情報(文末の参考資料①より)からみるとよさそうな山城と思います。
アクセスはJR紀勢本線「那智駅」下車、徒歩20分です。
勝山城は熊野三所権現の裏山にあり、当時は東牟婁郡で最大級の城でした。
城主は廊ノ坊重盛で、那智山の有力社家で、熊野水軍の潮崎氏の一族です。

新宮城は1581年に那智山の経営権を争った新宮・堀内氏(3新宮城の城主)との合戦で3ヶ月持ちこたえましたが、落城しました。

城跡には平安時代末期に那智湾で入水したと伝わる平維盛の墓もあります。

潮崎氏は、平清盛の弟で源頼朝から本領を安堵された平頼盛の子孫であるとも、頼盛の子孫を鎌倉時代に養子を迎えたとも伝わっています。
■番外編 山城の遺構は残ってませんので、歴史や雑賀衆が好きな方向け

以下3城は和歌山城に近いです。

1.弥勒寺山城
最寄り駅JR紀三井寺駅 徒歩30分 または和歌山城から徒歩40分
ここは山城の遺構は一切ないのですが、織田信長の紀州討伐(雑賀孫一征伐)のとき、この弥勒寺山城で待ち伏せして、信長軍を撤退させた場所(雑賀合戦)です。
川に壷など沈めて、信長軍が川を渡ったときに壷で足をとられ、混乱した信長軍に鉄砲をうちまくったといわれています。

石山本願寺を退去した顕如がここに住んでいました。
木が多く、景色は一部だけです。
2.雑賀城
弥勒寺山城から徒歩17分で雑賀衆の本城の雑賀城があります。
雑賀衆は鉄砲傭兵なので、山城には力をいれておらず、期待するような遺構はないです。

ここからの景色はよかったです。

3.太田城
太田城は日本三大水攻めの一つ。他は岡山市の備中高松城、埼玉県行田市の忍城(映画「のぼうの城」で有名に)があります。
城の遺構はほとんどなく、堤防の一部が見れます。
以下はわかやま歴史館でもらった太田城パンフレットの一部です。
⑨水攻め堤、⑥堀跡などがあります。

堤が少し残っています。備中高松城、忍城もそれほど多く残ってませんでした。

 

■参考にした本
①近畿の名城をあるく

②歴史道 最強の山城ベスト50

③山城歩き徹底ガイド

④100名城公式ガイドブック

⑤続100名城公式ガイドブック

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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