ロックの歴史に影響を与えた名盤ランキング ベスト10

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ロック史に大きな影響を与えた名盤をランキング形式でbest10を紹介します。

もともとはクラシッック音楽が好きで、クラシック音楽関連記事を多く書いておりましたが、他の音楽ジャンル挑戦で、200枚以上のロック名盤を聴きながら、ロックを勉強しました。

その勉強の中、私たちが一般的に聴く売れるためのロックと、”本物”の音楽を追求し、新たなロックの歴史に多大な影響を与えたロックを知ることができました。

ロックにあまり興味がない方でも、ロックという分野の素晴らしさを知っていただくために、本記事を書いてみました。ここで紹介するロックは古いと思われることをあるかもしれませんが、今、私たちがよく聴くロックはここで紹介するロックからの派生・発展したとご考慮をしていただけたいと思います。

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以下からランキング形式で紹介いたします。ロックの素晴らしい歴史をご堪能ください!

10位:Ok Computer/レディオヘッド 1997年

レディオヘッドはポストパンクやオルタナティヴ・ロックの大枠に、ポストロックや電子音楽、ジャズ、クラシック、現代音楽などを混交した多彩な音楽性や、アルバムごとにさらなる急進的な実験性・変化が特徴です。

3thアルバム「OK コンピューター」は1990年代半ば、マッシヴ・アタック、DJシャドウ、マイルス・デイヴィス、エンニオ・モリコーネ、ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ピンク・フロイドなどから実験的に参照・模索しながら、新たな「ポップ・ミュージック」を作りあげました。

製作当時の多くのメジャーバンドは自家用ジェットや高級住宅街ハムステッドの豪邸に大金をつぎ込んでいましたが、高学歴のレディオヘッドはキャンド・アプローズ・スタジオ(拍手喝采の缶詰の意)を建設し、高額な、難解かつ未来的なノイズ発生装置を集めていました。

そのスタジオでレディオヘッドはインテリらしく、誰も聴いたことがない不可能にも思えるサウンドを追求し、1年弱をかけて『OKコンピューター』を製作しました。

しかし、そのアルバムは大ヒットを狙った大衆に分かりやすいコマーシャルなものではなかったために、レーベルから大非難を受けましたが、コンピュータ社会をシニカルに描いた意欲作として世に出しました。

「OKコンピューター」は一度聴いただけでは良くわからない、難解な作品なのですが、果てしなくエモーショナルで実験的な音楽は90年代版プログレッシブ・ロックの金字塔として多くのロック・リスナーやミュージシャンから大絶賛されました。

レディオヘッドは混迷したロック※1の新しい時代を切り開いた救世主となり、多様化していく現代ロックの始まりと大衆的な古典ロックの終焉を象徴する作品として、ロック史の歴史的名盤として位置づけられています。

「OKコンピューター」の後、次作品も長いスタジオ作業の果て、次も商業的な成功をもとめない4thアルバム『Kid A』(2000年)を発表し、クラウト・ロック、ジャズ、20世紀の現代音楽などに影響を与えました。

レディオヘッドのトム・ヨーク※2は次のようなことをインタビューで語っており、レーベルや商業的成功を切り離した音楽性を追求したのでした。

「奴ら(音楽業界のマス連中)が思うほど、大衆の耳は馬鹿じゃない。聴こえのいいものだけを聞かせて金を巻き上げることが音楽産業だということに間違いはないけれど、許容され得る範囲はもっと広い。」

※1 1990年代の混迷した音楽業界の背景
●アメリカ
ニルヴァーナが1991年に引き起こしたグランジ・ロックの地殻変動による余波は予想以上に大きく、90年代後半になってもグランジ・オルタナティブ色の強いバンドが依然として溢れるマンネリな状態となり、転換期が望まれながらも停滞期に陥り始めていました。

●イギリス
ブラーとオアシスによるブリットポップ戦争に端を発したUKポップバブルが最盛期となり、第二のブラー、オアシスに続けとばかりにレーベル各社による数多くのブリットポップバンドが登場します。
しかし、結局、ブラー、オアシス頼みが続き、流行はロック的な要素をもったダンスミュージックに取って代わられてしまい、ブリットポップは単なるブームとして終りを迎えようとしていました。

※2 トム・ヨーク
ボーカル・ギター・ピアノ他多くの楽器演奏とソングライターを務め、次のような社会的評価を得ています。
・Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」の第13位(2002年)
・『ローリング・ストーン』誌「歴史上最も偉大なシンガー100人」の第66位(2008年)
・バンドとしてのレディオヘッドは「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」の第73位。

 

9位:追憶のハイウェイ61(HIGHWAY 61REVISITED) /ボブ・ディラン 1965年

ハイウェイ61号線は、ニューオリンズからカナダ国境まで続く「ブルース・ロード」ですが、このアルバムでロックを文学に通じるアートの領域にまで達成させた歴史的な作品です。

ディランはロックと文学の融合をはかり、当時の文学分野ではアレン・ギンズバーグらの文学者からも絶賛され、ロックの歌詞が初めて文学的評価を獲得し、今ではノーベル文学賞の受賞にもなりました。

出生名はロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)ですが、“ボブ”はロバートの愛称、“ディラン”は詩人ディラン・トマスにちなみ、法律上の本名も「BOB DYLAN」に改名しており、詩にこだわっているディランらしさがわかります。

一方、音楽としては、「追憶のハイウェイ61」で彼なりの皮肉や嫉妬、不条理を語るように歌い、「世代の代弁者」と崇められ、メッセージソングやプロテストソングの旗手と評されました。

また、ディランは「フォーク・ロック」というジャンルという確立し、そのフォークロックの金字塔をうちたてました。

そのアルバムの中で、ディラン本人は「ライク・ア・ローリングストーン」を一番好きだといい、ボブディランの最高傑作といわれています。

ちなみに、「ライク・ア・ローリングストーン」はビルボードで最高2位となり、その時の1位はビートルズの「ヘルプ!」でした。

ディランはビートルズと並び称されるほどの存在となりましたが、ディランを熱病のように傾倒し尊敬していたジョン・レノンはディランとの感激の面会を果たしたときに、ディランから「君達の音楽には主張がない」とまで言われてしまいました。

以降ビートルズは、音楽的な変化とともに詞の内容も変化して、政治や社会についてのメッセージを含んだ楽曲もつくるようになり、ディランはビートルズにも影響を与えています。

■社会的評価
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のソングライター」の第1位
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」の第2位
・「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」の第18位
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」の第7位
・ピューリッツァー賞特別賞  受賞理由:卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた
・大統領自由勲章
・ノーベル文学賞

■60年代の時代背景
●アメリカ
60年代、主に学生を中心とした、反体制・反政府運動の炎が広がりつつあった。
若者は反戦平和や人種差別撤廃、男女平等、表現の自由・言論の自由を求め、積極的に政治に参加し、問題意識をぶつけた時代であった。
そのような若者たちの間でロックン・ロールは社会運動のシンボルとして支持されるようになりはじめた時期であった。
アメリカの多くのミュージシャンがイギリス勢の勢いに押されていましたが、スティーヴィー・ワンダーやシュープリームスなどを擁するR&B(リズム・アンド・ブルース)の老舗「モータウン」は次々とヒットを量産していました。
当時のアメリカでは、黒人歌手中心のモータウンと、白人中心のロック/フォークはマーケットや文化においてリスナー層に違いがありました。

●イギリス
60年代前半はビートルズ・ザ・ローリング・ストーンズを筆頭としたイギリス勢がアメリカにロックの逆輸入をしたのを皮切りに、米英双方の若いミュ―ジシャン達がお互いに刺激し合い、音楽大きく変化していた。
イギリスでも学生運動はあったが、アメリカほど激しくはなかったし、パワフルでもなかったため、アメリカに進出したビートルズは、ロックン・ロールと社会運動と結びついている状況に驚いたと言われています。

 

8位:ハートに火をつけて/ザ・ドアーズ 1967年

「ハートに火をつけて(原題:The Doors)」はロサンゼルスのUCLA映画科の学生によって結成されたドアーズのデビューアルバム。

発表後、シングル・カットになった「ハートに火をつけて」をうむと同時に、「ジ・エンド」で狂気と終焉を表現したアルバムで、「ジ・エンド」は映画『地獄の黙示録』でも用いられました。

「歌詞」を「詩」に高めたモリソンの志向やサイケデリックなサウンドは、パティ・スミス、ストラングラーズ、エコー&バニーメン、テレヴィジョン、マジー・スター、ザ・キュアー、ブルー・オイスター・カルトや21世紀のパンドたちに大きな影響を与え、ロック界の指標になりました。

「ハートに火をつけて」はジム・モリソンの悪魔的なボーカルとレイ・マンザレクのキーボードによるオリエンタルな響きと長い印象的なインストゥルメンタル・ソロで、サイケデリック・ロックの代表作品となりました。

ジャズにラテン、ブルースが合わさったハーモニーやキャッチーなリズムは独特なもので、ロック文学ともいわれるよう革新的で難解な詩と、トリップしたような音楽の組み合わせが特徴です。

またライター&ボーカルのジム・モリソンのカリスマ性が今でも語り継がれ、1991年にオリバー・ストーン監督による映画『ドアーズ』(原題:The Doors)、2009年には、トム・ディチロ監督による劇場用長編ドキュメンタリー映画『ドアーズ/まぼろしの世界』(原題:When You’re Strange)が公開されました。

■ご参考
●ドアーズについて
・バンド名は、英国作家オルダス・ハクスリー(1894年~1963年)が18世紀の詩人・画家・幻聴者ウィリアム・ブレイク(1757年~1827年)の詩の一節から取った書のタイトル『知覚の扉(the doors of perception)』を元に、モリソンの発案から「ドアーズ」と名づけられました。

・「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第41位。

●ジム・モリソンについて
・本名はジェームズ・ダグラス・”ジム”・モリソン(James Douglas “Jim” Morrison)

・米ローリング・ストーン誌の選ぶ「史上最も偉大なシンガー100人」において第47位。

・英Q誌の選ぶ「史上最も偉大なシンガー100人」において第40位。

・ジム・モリソンの死はブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズのリーダー)、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスに続くロックスターの悲劇となった。

・偶然にも彼らは同じ27歳で死亡しており、27クラブ(フォーエバー27クラブ、クラブ27とも呼ばれる)というロック界の有名なジンクスとなっており、ロック界に激震を起こしたカート・コバーン(ニルヴァーナ)も27歳で自殺しています。これについて書いた本はこれです。すごいジンクスがあって、とても面白い本です。

・ヒッピー文化の象徴的な存在となったスターである、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョップリンは「3J」と呼ばれるロック界で大きな存在となっています。

 

7位:The Velvet Underground & Nico /ヴェルベット・アンダーグラウンド 1967年


「ヴェルベット・アンダーグラウンド&ニコ」はダウナー系ロックンロール(どことなく影がある)とバラードが中心作品として、ヴォーカルであるニコのアンニュイな雰囲気、プリミティブなドラミングなどの融合によって、アート性と実験的な試みに富んだ音作りになっています。

製作期間は僅か4日間、予算3,000ドル未満で、ジャケットはアンディ・ウォーホルのデザインで、バナナ絵のジャケットからバナナ・アルバムとも呼ばれています。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでの活動はわずか4年ほどででしたが、ロックの歴史において、オルタナティヴ・ロックを産み出した「ビッグ・バン」と位置付けられています。

リーダーである「ルー・リード」はポップさも兼ね備えた斬新かつ挑戦的な音楽性、陰翳と知性に富んだ様々なスタイルを持つヴォーカル、オリジナリティに溢れるギター・プレー、性におけるタブーや薬物など人間の暗部を深く鋭くえぐった独特の詩世界を持っていました。

ルー・リードは同時期にデビューしたデヴィッド・ボウイ、後のパンク・ロック/ニュー・ウェイヴ、オルタナティヴ・ロックなど音楽界全体に計り知れない影響を及ぼしました

また、リードの死去のニュースを受け、次の多くのミュージシャンが追悼のコメントを寄せられ、ロック界で再重要人物の一人であったことがわかります。
デヴィッド・ボウイ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ラーズ・ウルリッヒ(メタリカ)、U2、パティ・スミス、ニッキー・シックス(モトリー・クルー)、ジョン・ケイル、ベック、ザ・フー、ライアン・アダムス、カール・バラー、ネイサン・フォロウィル(キングス・オブ・レオン)、ジェラルド・ウェイ、リー・ラナルド(ソニック・ユース)、サブ・ポップ、ナイル・ロジャース、ウィーザー、パトリック・カーニー(ザ・ブラック・キーズ)、アーヴィング・ウェルシュ、トム・モレロ、ポール・エプワース、エイドリアン・ブリュー、イギー・ポップ、モリッシー、ジュリアン・カサブランカス(ザ・ストロークス)。

ジョー・ハーヴァード(ミュージシャン、プロデューサー) による「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ もっとも嫌われもっとも影響力のあったアルバム」の著書があり、その著書で、「いまなお驚嘆すべき挑戦的なサウンドの秘密と、いつの時代の若者をも虜にする普遍性」について書かれています。

以上から、ルー・リードはロック・ミュージックにおける芸術性向上・イノヴェーションに多大な貢献を果たした、20世紀以降における最重要アーティストの一人です。

発売当時は「前衛的で卑猥な内容を扱った音楽だ」と批評家たちから攻撃され、正しい耳を持つリスナーを獲得する前に妥当な評価が与えられませんでしたが、後世への強い影響力により、次の社会的評価があります。
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第19位
・『ローリング・ストーン』誌の「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」において13位
・「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」において5位

 

6位:Are You Experienced? ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス1967年

ジミ・ヘンドリックスは皆さんがよくご存知の「エレキギターの神様」!

「アー・ユー・エクスペリエンスト?(Are You Experienced)」は、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが1967年にイギリスで発表したデビュー・アルバム。

ジミヘンはブルースとロックンロールを融合させ、ビートルズ、クリーム、レッドツェッペリン、ザ・フーらと並び、ハードロックの起源の一人と評されています。

その理由として、ジミヘンはエレクトリックギターの非常に高い演奏技術と表現力を備えていただけではなく、画期的な技法の考案によってエレクトリックギターという楽器の可能性をそれ以前とは比較にならないほど拡大したと評価されています。

影響を与えたミュージシャンは、メジャーでの活動期間がわずか4年ほどであったにも関わらず、エリック・クラプトン(三大ギタリストの一人)、ジェフ・ベック(三大ギタリストの一人)、ボブ・ディラン(ノーベル文学賞)、ポール・マッカートニー(ビートルズ)、リッチー・ブラックモア(ディープ・パープル)、ピート・タウンゼント(ザ・フー:英国三大ロックバンド)、マイルス・デイヴィス(ジャズの帝王)、ギル・エヴァンス(ジャズ編曲家)など数多くあり、多くのミュージシャンや評論家から史上最高のロックギタリストと評されています。

ジミヘンから『お前はギターが下手だからベースに転向したほうがいい』って言われたエリック・クラプトン(次が)代表的なCDです。レイラ~と歌う曲はご存じの方が多いかと思います)は次の最大級の賛辞を送っています。

・「みんなジミのことを語るときに、服装や髪型やステージアクションなど見た目のことばかり言うが、一度目をつぶって演奏に耳を傾けてみればいい。ジミがどれほど優れたミュージシャンであるか分かるはずだ」

・「僕とジェフ・ベックが2人がかりでいっても、ジミにはかなわないだろう」
またジェフ・ベックは「好調な時のジミを超えるギタリストなどいるはずがない。自分がギタリストであることが恥ずかしくなるよ」と語っています。
ジミヘンは右利き用のギターを逆さまにして左構えで演奏ギターを歯や背中で弾いたり、火を放ったり、破壊したりするパフォーマンスでも有名。
ちなみに、火を放った「フェンダー・ストラトキャスター(Fender Stratocaster)」(1965年製)は2008年のロンドン・オークションで28万ポンド(約5300万円)で落札されました。
ジミヘンは27歳で他界し、27クラブ(27歳で死去した有名ミュージシャン達を指し、別称クラブ27やフォーエバー27クラブ)に属しています。
当初のオリジナル5名の一人で、他の4名はブライアン・ジョーンズ(ザ・ローリング・ストーンズのリーダー)、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン(ドアーズ)、カート・コバーン(ニルヴァーナ)の超メジャーロック・ミュージシャンです。

これについて書いた本はこれです。すごいジンクスがあって、とても面白い本です。

■ジミ・ヘンドリックスの社会的評価
・『ローリング・ストーン』誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリストにおいて第1位
・『ローリング・ストーン』誌が選ぶ歴史上最も偉大な100組のスターにおいて6位
・ブラジルのメタル専門誌『ROADIE CREW』の「HR/HM系ミュージシャンが選ぶギタリスト・ランキング1位
・『ギター・マガジン』2010年12月号の「ギター・マガジンが選ぶ! 史上最も偉大なギタリスト100人」で1位

■「Are You Experienced? 」のアルバム評価
・『ローリング・ストーン』誌の「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」において15位
・『ローリング・ストーン』誌の「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」において15位

【ご参考】
60年代のアメリカは黒人差別が激しく、白人の間では、ビートルズ、ストーンズ、ザ・フーなどのイギリスロックが大流行していましたが、黒人は「なにがイギリスの白人がロックンロールだ。ブルースとジャズこそ最高!」という状況でした。

そのため、ジミヘンは渡英して、白人二人(ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス))とザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成することができましたが、アメリカの黒人からは「なんで白人とロックなんかしてんだよ裏切り者!」とののしられていました。

イギリスで成功を収めたザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは1967年の夏、米カリフォルニア州モンタレーで開催された世界初の本格的野外ロックフェスティバル、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。

これは同フェスティバルのイギリスでの世話役だったポール・マッカートニー(ビートルズ)が、「ジミを出さないフェスティバルなどありえない」と熱心に推挙したためと言われています。

ヘンドリックスはモンタレーで、聴衆を圧倒する演奏とギター燃やしのパフォーマンスを炸裂させ、母国アメリカでも一気にスターダムにのし上がりました。

 

5位:The Darkside of the Moon ~狂気~ /ピンク・フロイド 1973年

ピンクフロイドはプログレッシブ・ロックの原点をつくったと言われています。

「プログレッシブ」とは、本来、「先進的」・「前衛的」という意味で、プログレッシブ・ロック・バンドという場合、そのアルバムや楽曲などが次のような特徴があります。
①アルバム全体を一つの作品とする意識(コンセプト・アルバム)
②大作・長尺主義傾向にある長時間の曲
③演奏重視で、インストゥルメンタルの楽曲も多い
④技巧的で複雑に構成された楽曲(変拍子・転調などの多用)
⑤芸術性を重視した曲作り
⑥クラシック音楽やジャズ、あるいは現代音楽とのクロスオーバー・ミクスチャーを試みたものも多く、高度な演奏技術を有する
⑦シンセサイザーやメロトロン等といった、当時の最新テクノロジーを使用した楽器の積極的使用
⑧独創的な音楽性(あるいは既存のプログレバンドの音楽性から強く影響を受けている)

ピンク・フロイドの音楽をプログレッシブ・ロックと形容したのを皮切りに、その音楽と同様の特徴をもつキング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(EL&P)、ジェネシスの音楽もプログレッシブ・ロックと呼ばれるようになりました。

これらの5つのバンドは「プログレ五大バンド」と呼ばれています。

ピンクフロイドは同時期のキング・クリムゾンやイエスと違い、演奏テクニックを売りにしているわけではなく、キング・クリムゾンやEL&Pのような「難解さ」も少なく、ポップのような親しみやすさもあります。

このアルバムでは「ロジャー・ウォーターズ」が人間の内面に潜む「狂気」(The Dark Side of the Moon:月の裏側)を描き出すというコンセプトを考案し、全曲作詞しました。

また、クラシック音楽やジャズをバックグラウンドに卓抜したテクニックを披露する技巧派ではなく、その音楽のもつ浮遊感・倦怠感・幻想的なサウンドは、ロックのアグレッションから離れつつ、独自の緊張感と高揚に結びついて革新的でした。

ピンク・フロイドの音楽性は「ジ・オーブ」や「KLF」などのエレクトロニカのアーティストにも大きな影響を与えています

アルバムの全ての曲は流れるように連携しており、しだいに解き明かされる謎解きのような作品で、名画にも通じる芸術性と評され、「ロック音楽を芸術の域にまで高めた不朽の名作」かつ「コンセプト・アルバムの最高峰」です。

アルバムの最初から最後まで曲と曲がつながっておりますが、レコード時代のA面・B面の区切りである「虚空のスキャット」と「マネー」の間だけは、いったん音が途切れています。

その中で主人公の誕生から苦悩、葛藤などを描き出し、その主人公には、「狂気」の人となってしまった「シド・バレット」と重ねられていると言われています。

シド・バレットは1967年にピンク・フロイドの一員としてデビューし、作詞、作曲、ギター、ヴォーカルを担当して、グループを牽引しますが、成功にともなうストレスや麻薬(LSD)中毒が原因で精神のバランスを崩してしまい、1968年にバンドを脱退しました。

また、サウンド・エンジニア(SE)としてアルバム製作に携わったアラン・パーソンズは編集したサウンド・エフェクト(効果音)の巧みな使い方によって、うまくストーリーを演出しています。

笑い声、会話、爆発音、時計の針、飛行機の効果音やレジスター、心臓の鼓動(実際はニック・メイスンのドラムス)などが随所で使われています。

当時はサンプラー(音楽的・非音楽的を問わずサンプリングにより標本化された「音」を任意に再生出力することの出来る装置)がなかったため、録音した音をひとつひとつテープに貼り付けるという原始的な手法で製作されています。

ちなみに、アルバムの人気曲「マネー」の冒頭で聴かれるレジスターの音は編集に30日を要したとアラン・パーソンズ本人が語っています。

■アルバム情報
Billboard 200に15年間(741週連続)にわたってランクインし続け、「ギネスブック公認レコード」となっています。
このロングヒットによって、売り上げは5000万枚以上といわれ、マイケル・ジャクソンの「スリラー(Thriller)」に次ぐ、歴代アルバム売り上げ数2位といわれています。

歴代3位はAC/DC の「バック・イン・ブラック(Back in Black)」、4位ホイットニー・ヒューストンの「ボディーガード(The Bodyguard)」、5位ミート・ローフの「地獄のロック・ライダー(Bat Out of Hell)」

ちなみに、この本作のSEのアラン・パーソンズは当時、アビー・ロード・スタジオで働くただのエンジニアで、本人の談によると、「当時通常の給料を得ただけで、本作のヒットによる印税のようなものは一切もらっていない」とのことです。
しかし、本作で聴ける完璧なサウンド処理によって一躍名を上げ、後に「アラン・パーソンズ・プロジェクト」というグループを自ら結成して表舞台に出てくることになります。

・2006年に発表された「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500」において第43位

・アルバムのジャケットはロック史に残る名作と位置づけられ、1968年に結成されたイギリス・デザイン・グループ「ヒプノシス」のデザイナー「ストーム・ソーガソン」によって考案され、メンバーの満場一致で光のプリズムを表現したデザインに決定しました。

 

4位:Led Zeppelin Ⅳレッド・ツェッペリン 1971年

『レッド・ツェッペリン IV』 (LED ZEPPELIN IV)は、イギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンの第4作アルバムで、時代と共に評価を高め、現在では「1970年代のハードロックのスタイルを決定付けた作品」と評されるまでになっています。

1作目のアルバムでブルースをハード・ヘヴィに演奏し、2作目でハードロックの基礎を作り、3作目でアコースティックに流れ、そして4作目でそれまでの集大成、ブルースを消化し、アコースティックな要素も盛り込み、ハードロック路線を推し進めました。

このアルバムは、フォーク的なアプローチとロックンロールが融合したドラマチックな展開が特徴で、あの「天国への階段※1が収録されている不朽の名作があり、ロック史上最も「売れたアルバム」(約3700万枚)の一つです。

ヤードバーズにいたジミー・ペイジ※2がボーカリストの重要性に目覚め、「ブルースをすごくでかい音で激しくやったらカッコいいだろうな」という思いつきから、次の4つの才能をレッド・ツェッペリンという新たなバンドに結集させ、ハード・ロックの祖となりました。
○ジミー・ペイジ(ギター):トラッドフォークや民族音楽を取り入れたの多様な音楽性
○ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース・キーボード):ペイジの多様な音楽を絶妙にアレンジできるプロデュース力
○ジョン・ボーナム(ドラムス):豪胆と繊細な面も併せ持つドラム音
○ロバート・プラント(ボーカル):セクシーなパフォーマンスやカリスマ性

レッド・ツェッペリン(ZEP)はクイーン、キングダム・カム、エアロスミス、KISS、フー・ファイターズ、ホワイト・ストライプスなどに影響を与え、その影響は「ヘヴィメタル」や「ニルヴァーナやパール・ジャムに代表されるグランジ」へ継承されていきます。

「レッド・ツェッペリン」は「ディープ・パープル」、「ユーライア・ヒープ」、「ブラック・サバス」らとともに四大ハードロック・バンドの1つと位置づけられています。

※1 天国への階段」 (Stairway to Heaven)
・冒頭部のギターによるアルペジオは、初心者でも比較的簡単に習得できるため、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフと並んで誰もがコピーするほど有名です。
・イ短調、4/4拍子、三部構成の曲で、曲全体としては「延々と続く繰り返し」でではなく、曲の進行とともに次第に楽器数が増えて一貫性を保つための工夫が為されています。
・クライマックスに至る構成は、に次第に楽器数が増えるなどの点でラヴェルの「ボレロ」に似ており、広義での変奏曲に似た構成です。
第一部:アコースティック・ギターのアルペジオとリコーダーとで演奏される静かなパート。12小節からなる序奏の後、ヴォーカルが4小節の小楽節からなる美しいメロディーを四度繰り返し歌う。
第二部前半:リコーダーが退いてエレクトリック12弦ギターとエレクトリック・ピアノが加わり、コードおよびアルペジオを利用したリフを奏でる。この間、ヴォーカルは第一部と同じメロディを四度繰り返し歌う。
第二部後半:エレクトリック・ベースとドラムスとが加わり、ヴォーカル・メロディーも新しいものとなるが、ギターとピアノとは前半と同じリフを繰り返し演奏する。
第三部:次第に音量を増した曲はクライマックスの入り、2弦ギターによるファンファーレ風の序奏に導かれてペイジがギター・ソロを演奏し、続いてプラントが高音のシャウト。最後の4小節に至って曲は急激に速度を緩め、プラントの独唱で静かに結ばれる。

※2 ジミー・ペイジ(本名:James Patrick Page OBE)
クラプトン脱退後のヤードバーズへの参加を要請されるもののこれを辞去し、以前からの知り合いであるジェフ・ベックを推薦しましたが、その後、ベースのポール・サミュエル・スミスが脱退したため、1966年6月にヤードバーズのベーシストとして加入しました。
その後ベックが扁桃腺炎で療養に入ったため、ベックの代役でギターパートへ転向。ベック快気後は彼とのツインリード・ギターのスタイルがバンドの売りとなりました。
その後「トレイン・ケプト・ア・ローリン(ストロール・オン)」、「幻の10年」、「アイム・コンフューズド(後の『幻惑されて(原題Dazed and confused)』)」などの曲を残します。
後にジェフ・ベックが脱退し、ヤードバーズ最後のリード・ギタリストとなったジミー・ペイジが録音を経験するうち、「レコード制作に要求される配慮やボーカリストの重要性」に目覚め、新たなバンドをつくることを決めました。
偶然性も加わってオーソリティーともいえる各パートのメンバーを揃えてレッド・ツェッペリンが結成されました。

かなりの余談となりますが、あのROLLY(本名:寺西 一雄)は次のことを語っています。
「ジミー・ペイジ、ブライアン・メイ、ジョニー・ウィンター、アルヴィン・リー、ウリ・ジョン・ロート……僕のギタリスト人生においていろいろなプレーヤーから影響を受けましたけど、そのうちの65%ぐらいがペイジですね。アコースティックギターのプレーに関しては90%ぐらいペイジが占めているかな。それぐらい大きいですね。」

■ZEP、本アルバム、天国の階段のそれぞれ評価
①レッド・ツェッペリンの評価
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第14位。
・2005年、英ロック専門ラジオ局Planet Rockで、「各パートのベストパフォーマーの投票による架空の究極バンドを作るという企画」で、投票結果、ボーカル・ギター・ベース・ドラムの各パートですべてレッド・ツェッペリンのメンバーが1位独占となり、「究極のバンド」は実在していたという結果が出された。
・『Daily Mirror』紙での有名ミュージシャンのコメント
○ロジャー・テイラー(クイーン)
「彼らはものすごい数のバンドに影響を与えている。それは承知してるよ。僕たちだって、いっぱいパクってるからね。彼らみたいなバンドはもう現れないよ。英国はツェッペリンを誇りに思うべきだ。本物のレジェンドだよ。」

○デイヴ・グロール(フー・ファイターズ)
「レッド・ツェッペリンの刺青してるよ。彼らほど崇拝してるバンドはほかにない。」

○スティーヴン・タイラー(エアロスミス)
「ブルースをロックに変えた。ジミー・ペイジがそれを成し遂げたんだ。誰にも出来ない彼独自の方法で。それに近づいた奴さえいない。」

○ジョー・ペリー(エアロスミス)
「バリアを破ったという意味では、彼らはビートルズと同じくらい重要だ。」

○ジャック・ホワイト(ホワイト・ストライプス)
「不動の存在。彼らを好きじゃないっていう奴は信用していない。」

○ボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム)
「彼らは、セクシーでクールで、みだらなロックンロールだ。」

②レッド・ツェッペリン IVの評価
・1971年11月8日、全世界で同時に発売され、アメリカではキャロル・キングの『つづれおり』を抜くことが出来ず2位でしたが、約5年にわたってトップ200にとどまる超ロングセラー
・ZEPの全作品中、最も売れ、米国だけでもセールスは2,300万枚を超え、世界で3700万枚という記録的な売り上げ。
・クラシック・ロック誌の「偉大なロックアルバム100」において1位
・「偉大なブリティッシュ・ロックアルバム100」において1位
・『ローリング・ストーン誌」の「オールタイム・ベスト・アルバム500」において69位
・Q誌読者による偉大なアルバム100において21位

【ご参考】
・本作には実はペイジのアイデアで正式なタイトルはなく、ジャケットには一切のクレジットや情報が記載されなかっため(曲名やクレジットなどの最低限の情報はレコードの内袋に掲載され、その裏側には「天国への階段」の歌詞が特殊な字体で書かれていました)、アトランティック・レコードからは「自殺行為だ」と反対されましたが、ZEP側は一切譲歩せず、要求どおりにするまでマスターテープをアトランティックに渡さないという強行策にでました。
・この意図について、ペイジは「僕等は純粋に音楽だけを評価の基準にして欲しかったんだ」「所詮バンド名なんて何の意味がある?レッド・ツェッペリンって何?大事なのは僕等の音楽なんだ」と語っています。
・無タイトルの超名盤だけあって、多くの仮称がありました。
(a)4つのシンボルが並んでいるから「フォー・シンボルズ」(Four Symbols)、あるいは単に「シンボルズ」(Symbols)
(b)そのシンボルがルーン文字に由来するとうわさされたので「ルーン・アルバム」(The Runes)
(c)ジミー・ペイジのシンボルがZOSOというアルファベットの組み合わせのように見えるので「ZOSO」
(d)天国への階段”を収録しているので「Stairway Album」
(e)1~3作までのアルバムタイトル名の流れから「レッド・ツェッペリン IV」(Led Zeppelin IV)

③天国の階段の評価
・「オールタイム・グレイテスト・ギター・ソングス100」において8位
・『ローリング・ストーン』誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・ソング500」において31位
・レッド・ツェッペリンの代表曲というだけでなく、ロックの代表曲とも言える名曲で、ライブでも頻繁に演奏されています。
・あのクラシック界巨匠カラヤンは「天国の階段」について、「完璧なアレンジだ。この楽曲はこれ以上楽器を足す事も引く事も必要とせず、私がオーケストラで演奏するとしても全く同じようにするだろう。」と高い評価をしています。

 

3位:クリームの素晴らしき世界クリーム 1968年

クリーム(Cream)は、66年にジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズを脱退したエリック・クラプトン(g、vo)と、グレアム・ボンド・オーガニクゼイションに在籍していたジャック・ブルース(b、vo)、ジンジャ・ベイカー(ds)により結成され、同年7月3日第6回ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティバルで衝撃デビューを飾りました。

クリームは2年という短い活動期間ながら、ブルースとハードロックの橋渡し的な作品を多く残し、ハードロック確立に果たした功績はあまりにも大きく、次のようなさまざまなジャンルのバンドに大きな影響を与えました。
ハードロック・バンド:レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ジェフ・ベック・グループなど
プログレッシブ・ロックバンド:ラッシュなど
ジャムバンド:オールマン・ブラザーズ・バンド、グレイトフル・デッド、フィッシュなど
ヘヴィメタル・バンド:ブラック・サバスやウルフマザーなど

クリームは、当時の音楽シーンに多大な影響を与えた以外に、ヘンドリックスと共にワウ(車のアクセルのようなペダルを足で操作する事により、聴感上強調される周波数帯を変えるエフェクター)を流行らせました。

ドラムのベイカーはドラミングテクニック、ショーマンシップ、ティンパニの使用で多くの注目を集め、2つのバスドラムのパイオニアとして影響を与え、ロック・ドラマーの新しいスタンダードを創り上げました。

クリームはトリオというロック・バンドとしては最小形態をとりながらも、三者三様の個性を放ち、リーダーなしで三人が好き勝手やってる感はありますが、互いに競い合ううちに、メンバー全員の本領が発揮され、彼らの演奏は伝説化しました。

クリームの素晴らしき世界 (Wheels of Fire) はクリームの3枚目、スタジオ録音とフィルモア・イーストライブ盤の2枚組で、ライブ盤はクリームの貴重な伝説化したライブが聴けるため、楽曲『Crossroads』『Spoonful』のご試聴をおすすめします。

エリック・クラプトンは「二度と再現できない世界がこのアルバムに詰まっている。」と言っています。

『Crossroads』は、アマチュア・ギタリストにとってのスタンダード曲にもなっています。
https://www.youtube.com/watch?v=rIgX4e2Z9Qk

また、ライブ盤の楽曲『いやな奴 (Toad)』ではベイカーのドラム・ソロが圧巻です。
https://www.youtube.com/watch?v=4Gze0PxDKgQ

といういのも、体力が必要なドラマーのベイカーは、ドラム連続演奏の耐久コンテストで優勝するなどずば抜けた体力で、「クリームの素晴らしき世界」のライブでクラプトンとブルースのアドリブと競い合うようにして長時間のドラム演奏を聴かせてくれます。

一方、スタジオ録音では、クリームの代表曲「White Room」があり、タム(中音域の出る太鼓)を多用したドラムワークとワウを使ったギター、印象的なボーカルを聴かせる名曲です。

「トップ・オブ・ザ・ワールド」や「荒れ果てた街(Deserted Cities of the Heart)」はジャック色が強いですが、でのクラプトンの演奏はかっこよいいソロを弾いています。

「政治家(Politician)」は、いかにもジャック・ブルース作で、かっこいいブルースロックに仕上がっています。

■「クリームの素晴らしき世界」の評価
本作は当時2枚組アルバムというのは珍しく、値段も高価でしたが、イギリスで最高3位、アメリカでは1位を獲得し、アルバム売上は3,500万枚以上に及び、世界初のプラチナディスクを獲得した2枚組アルバムとなりました。

ローリング・ストーン誌の『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム(英語版)』において203位。

■クリームの評価
VH1誌の 100 Greatest Artists of Hard Rock において16位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において66位。

■メンバー紹介
エリック・クラブトン(g,Vo) Eric Patrick Clapton
ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人とされ、ローリング・ストーン誌が選ぶ「最も偉大な100人のギタリスト」2位に選出されています。

クラプトンのキャリアは、1963年1月ルースターズから始まり、ケイシー・ジョーンズ・アンド・ジ・エンジニアズを経て、1963年秋、ロンドンで注目を集めていた「ヤードバーズ※」に迎えられます。
※ヤードバーズはクラプトンの脱退後、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが世界3大ロック・ギタリストが在籍したことが有名ですが、R&Bやロックンロールなどを主体に、フォークやクラシック、ポップスを融合し、更にサイケデリック・ロックとハードロックの基礎を築いた先進性で、後進のロックやポップスのミュージシャンに多大なる影響を与えています。

ヤードバーズで注目されるようになったクラブトンはポップ路線を志向するメンバーと意見が対立し、脱退します。

ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオールのブルースブレイカーズに参加したころから、ロンドンの街中に“CLAPTON IS GOD”の落書きが現れ、「ギターの神」と呼ばれるようになりました。

ジミ・ヘンドリックスは渡英してデビューする際、エリック・クラプトンに会うことを切望したとのことです。

ブルースブレイカーズ脱退後、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成しました。

彼が長年愛用したギター、愛称「ブラッキー(’56年製のフェンダー・ストラトキャスター」はオークションで過去最高額95万9,500ドル(およそ1億万円)となり、クラプトンの人気の高さがうかがえます。の価格がつけられ当時「世界一値段の高いギター」となった(現在は塗り替えられている)。

ちなみに現在、一番高いギターはブライアン・アダムスのフェンダーストラトキャスター(Fender Stratocaster)でオークションで270万ドル(およそ3億円)。実は高い訳があって、2004年のスマトラ島沖地震のチャリティーの際に次の超豪華メンバーのサイン入りだからです。

エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、デヴィット・ギルモア、ミック・ジャガー、ポール・マッカートニー、スティング、リッチー・ブラックモア、マーク・ノップラー、レイ・デーヴィス、ロニー・ウッド、デフ・レパード、キース・リチャーズ、リアム・ギャラガー、アンガス&マルコム・ヤングでよくぞこれだけ集められたものだと思います。

ジャック・ブルース(b,vo) John Symon Asher Bruce
グラスゴーにある王立スコットランド音楽演劇アカデミーでチェロと作曲を学ぶが17歳で脱落し、ロンドンのロック音楽に身を投じました。

クリームではリード・ヴォーカル、ベース、ハーモニカ、チェロ、ピアノなどを担当し、アンプを大音量で鳴らし、常にベースソロのような状態で弾くベースプレーは同世代及び後のベーシスト達にまでも多大な影響を与え、ロック界を代表するベーシストの一人と見なされています。

ジンジャー・ベイカー(ds) Peter Edward “Ginger” Baker
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において、第3位。

16歳でドラムを習得し、グレアム・ボンド(sax.&or.)とのグレアム・ボンド・オーガニゼーション、マンフレッド・マン、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズを経て、クリームに加入しています。

以上、クリームはブルースに通じたエリック・クラブトン、クラシック音楽に通じたジャック・ブルース、ジャズに通じたジンジャー・ベイカーと異なるジャンルでの最高プレーヤーがお互い競い合った白熱したライブで、多くのミュージシャンに影響を与え、ハードロックの確立に導きました。

 

2位:Nevermindニルヴァーナ 1991年

ニルヴァーナ (Nirvana) は、1987年に結成された、アメリカ・シアトル出身のロックバンドで、バンド名には仏教用語の「涅槃の境地」という意味です。

80年代はヴィメタの黄金期で、ヴァン・ヘイレン、クワイエット・ライオット、モトリー・クルー、ラット、ボン・ジョヴィ、スキッド・ロウ、シンデレラ、デフ・レパード、ホワイトスネイク、ポイズン、スコーピオンズ、アクセプト、メタリカ、ガンズ・アンド・ローゼズといった商業主義のヴィメタル・バンドが活躍していました。

1980年代後半にもなると、世間ではヘヴィメタルが飽きられはじめ、アメリカも不況にむかう中、若者は豪遊ライフを謳歌するメタルバンドに反感をもち、新たな音楽を求めはじめました。

80年代的な無邪気さ、華やかさを「旧価値」として完全に否定し、80年代の「スター生産システム」の金儲け主義に取り込まれることを頑なに拒んだバンドが注目されるようになりました。

そのような中、産業ロックへの反発からくる「1970年代以前のロックへの参照・回帰・昇華」を志向した「オルタナティヴ・ロック」(Alternative Rock、日本の略称オルタナティヴ、オルタナ)が興りました。

オルタナティヴ(Alternative)とは、「もうひとつの選択、代わりとなる、異質な、型にはまらない」という意味の英語の形容詞で、商業的な音楽や流行音楽とは一線を引き、時代の流れにとらわれない普遍的なものを追い求める精神や、前衛的でアンダーグラウンドな精神を持つ音楽シーンをいいます。

そのオルタナが注目されはじめた中、ニルヴァーナのリーダー、カート・コバーンは、それを一番強く体現し、産業ロックに限らず、あらゆる権威・体制・スター的なものに毒を吐いていました。

カート・コバーンの攻撃は、レコード会社やMTVだけにとどまらず、既存のロック・バンドや歌手におよび、次のような無差別テロ的な言動は大きな共感を呼び、「ニルヴァーナ・ショック」と言われる社会現象に発展しました。
・ガンズ・アンド・ローゼスには「あいつらはロック・スターになりたかっただけで、彼らにはファッションしかない。俺たちにはパッション(情熱)がある」
・メタリカには「ニルヴァーナのTシャツを着せて宣伝に利用してやるんだ」
・マドンナには「ブタ」
・ヴァン・ヘイレンには「軽薄なクソ・ヘヴィー・メタル」
・ザー・フーには「ピート・タウンゼント(ギタリスト)みたいになる位だったら死んだほうがましだ」

ニルヴァーナをはじめたとした80年代商業主義を否定するバンドは、破れたジーンズに汚いTシャツ、乞食の様なファッションが主流であったため、メディアはそれらのバンドの服装・音楽性から、「汚れた」、「薄汚い」という意味の形容詞 “grungy” が名詞化した “grunge” と呼び、90年代初頭のアメリカはグランジブームが起こったのでした。

グランジブームによっていわゆる「音」の概念が180度変わり、それまでの装飾過多で奇麗に鳴り響く、80年代サウンドから、シンプルで楽器本来の音の響きを大事にしたものへと変わりました。

それによって80年代のインディー(どこにも属さない」という意味の”Independent(インディペンデント)”の略称)の様々な音楽が評価され、80年代産業ロックの完全否定の上で、本来ロックらしかった60、70年代ロックが再評価がされだしました。

グランジは1990年代にアメリカ・シアトルを中心に興った潮流であり、オルタナティヴ・ロックの一つに位置づけられ、グランジの勃興を受けて、グランジを包括するオルタナティヴ・ロックは再評価されるに至りました。

このムーブメントのきっかけがニルヴァーナのカート・コバーンであり、新しい音楽の誕生と60、70年代ロックの再評価に大きな影響を与えました。

1991年にニルヴァーナの『ネヴァーマインド』、パール・ジャムの『テン』、サウンドガーデンの『バッドモーターフィンガー』が発表され、新たな潮流を感じ取ったメディア・レーベルはいままでの金づるのヘヴィメタバンドを一斉に見放し、グランジ・オルタナに乗り換え、TVでは『ネヴァーマインド』のシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)」がリピートされ、グランジはロックンロールの潮流を変えました。

ロック史においては、『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』は70年代のパンクムーブメント以来の音楽的転換となった曲とされ、多くの批評家から「90年代における重要曲」として挙げられています。

1994年にカート・コバーンが自殺したことによって、グランジ・ムーヴメントのピークは過ぎますが、パール・ジャムやスマッシング・パンプキンズなどが活動を続けるなか、彼らのフォロワーバンドがポスト・グランジとして出現し、現在まで音楽シーンに影響を与え続けています。

■グランジについて
・『ビジネスウィーク』はグランジを「パンクのDIY哲学とブラック・サバスの暗いギター・リフとの結婚」と評しています。
・ニルヴァーナのドラマーであったデイヴ・グロールは、グランジを「ラウドなギターとラウドなドラムと絶叫ヴォーカル」と定義した上で、その種の音楽は2013年現在まで一度も廃れたことがないと言っています。
・ニルヴァーナのベーシストのクリス・ノヴォセリックは、グランジを「伝統的なヘヴィー・ロックとパンクの融合」であるとしたうえで、ブラック・フラッグの『My War』がグランジに影響を与えたと言っています。
・グランジに影響を与えたバンドに、ザ・ソニックス、ザ・ストゥージズ、MC5、セックス・ピストルズ、ジーザス&メリーチェインなどがいます。
・グランジの代表的なアイコンにはダイナソーJr.、マッドハニー、ピクシーズなど
・グランジの音楽的な最大の特徴は、パンク・ロックのような簡素で性急なビートと、ハード・ロックのようなリフ主体の楽曲構造とが融合されていることです。
・「静と動」のディストーション(音色を歪みの状態に加工)のギターサウンドがあり、その起源はピクシーズなどの1980年代末期のギターロックバンドにあると言われています。

■カート・コバーン(カート・コベイン、Kurt Donald Cobain)
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第45位。
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第12位、2011年改訂版では第73位。
・「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第7位。
・離婚後、父の元へ引き取られ、トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育ち、自身の音楽に強く影響を与えた、と後に何度かインタビューで語っています。
・学校では友達を作らず、図書館で主にチャールズ・ブコウスキーなどの本を借り、それを読んで過ごしていた。その中でウィリアム・バロウズの『裸のランチ』と出会い、後の人生、歌詞、両面において強い影響を受けています。
・最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DCやレッド・ツェッペリンなどの曲を練習していました。
・ハイスクール在学中、パンクバンド、メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会い、バズ・オズボーンから貰ったテープから、パンク・ロックに興味を抱き音楽を始めました。

○カートが自殺にいたるまで
ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャム、アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられ、元々、アンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を裏切ってしまったように感じており、メディアに伝える彼の姿と本来の自分の姿との乖離に大きな反感をいだきました。

産業ロックを嫌っていたカート・コバーンは商業主義バンドの代表格となり、この「ネヴァーマインド」を嫌悪・否定するような発言を繰り返し、その反発心から3rdアルバムでは、スティーヴ・アルビニ(ピクシーズ等のプロデュース担当)による原点回帰したアングラ的な作品「イン・ユーテロ」をリリースしました。

その反抗的でネガティブな精神が若者たちに更なる共感を与えてしまい、グランジバンドからはニルヴァーナはセルアウトした(商業主義になった)と揶揄されるようになってしまいます。

「イン・ユーテロ」が売れないことを願っていたカートでしたが、実際はヒットアルバムとなり、自分を取り巻く状況に嫌気がさし、ドラッグに溺れ、1994年4月5日(警察の推定)、シアトルの自宅で薬物を服用の上、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しました。

4月8日に発見されたとき、遺書には強烈な筆圧で、親交のあったニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It’s better to burn out than to fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」が引用され、ステレオからはR.E.M.のアルバム『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』が流れっぱなしになっていました。

没年齢の27歳は、音楽界の偉人であるロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)、ジム・モリソン(ドアーズ)、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と一緒でした。
(超有名ミュージシャンが27歳で他界したことで、The 27 Club、クラブ27、フォーエバー27クラブと言われています)

カートの母親は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたと伝えられています。

■クリス・ノヴォセリック(Krist Novoselic)
・ニルヴァーナ結成当初のメンバーで、カートがドラムを叩き、クリスがギターとボーカルを担当し、二人メンバーでした。
・好きなバンド:セックス・ピストルズやラモーンズ。

■デイヴ・グロール(デヴィッド・エリック・グロール:David Eric Grohl)
・『ネヴァーマインド』のヒットには、コバーンのソングライターとしての才能だけでなく、グロールの優れたドラミングとコーラスワークも貢献していると専門家から言われています。
・「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において第27位。
・「LA Weekly誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において第7位。
・明るく誠実な人柄で、ニルヴァーナ時代は、気難しく人見知りの激しいコバーンの替わりに、スポークスマンを務める事も多く、ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、ジミー・ペイジ、アリス・クーパー、スラッシュ、レニー・クラヴィッツなどとの幅広い交友関係をもっています。

■アルバムの評価
・「ローリングストーン」誌の「オールタイム・ベストアルバム500」において17位。(90年代以降のアルバムの中で最高位)
・カートの27歳で自殺で27クラブへ入会で、カリスマ的な存在はさらに大きくなり、伝説的なミュージシャンとしてアルバムは売れ続け、全世界で4,000万枚を超えています。
・ビルボード200において1位を獲得、また数々の批評家達からその年のベスト・アルバムに選出されました。
・RIAAにより、ゴールド、プラチナアルバムとして認定。
・ジャケットで泳いているのはスペンサー・エルデンという男児で、2012年現在はロサンゼルスに住んでいます。

■ネヴァーマインドからのシングル曲
①ファーストシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット
・「オールタイム・グレイテスト・ソング500」において9位。
・「オールタイム・グレイテスト・ギター・ソングス100」において10位。
②セカンドシングル「カム・アズ・ユー・アー」(Come as You Are)
・Billboard Hot 100で32位

■ニルヴァーナの評価
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第30位。
・MTVビデオミュージック・アウォーズにおいてベストニューアーティスト賞、及びベストオルタナティブ・アーティスト賞

 

1位:クリムゾン・キングの宮殿キング・クリムゾン1969年

ザ・ローリング・ストーンズの創始者、ブライアン・ジョーンズが不慮の事故で亡くなって3日後、ストーンズ主催によるフリー・コンサートがブライアン追悼コンサートとなり、ロンドンのハイドパークには25万人以上もの人たちが集まりました。

出演者はストーンズの他に、アレクシス・コーナーやロイ・ハーパーといった名のしれたミュージシャンの中に、無名のキング・クリムゾンがいました。

その当時、キング・クリムゾンは前身バンド、ジャイルズ・ジャイルズ・フリップ(ロバート・プリップ、マイケル・ジャイルズ、ピーター・ジャイルズ)はヒット曲が出ずに行き詰っていたなか、ピーター・ジャイルズが抜け、イアン・マクドナルド(マルチ・プレーヤー&作曲)、ピート・シンフィールド(作詞&照明)、グレッグ・レイク(フリップの古くからの友人、ボーカリスト&ベーシスト)の参加で結成されたばかりでした。

バンド名は「クリムゾン・キングの宮殿(原題:In The Court Of The Crimson King)」から、「キング・クリムゾン」となりました。

譜面に組み立てていくクラシック的な音楽作り、洗練されたテクニック、アドリブからの高揚感、シンフィールドの歌詞の世界観はレコードデビューを果たさないうちに評判を呼び、キング・クリムゾンはブライアン追悼コンサートの前座の大舞台に立つこととなりました。

彼らの代表曲となる「21世紀のスキッツォイド・マン」(21st Century Schizoid Man、旧邦題「21世紀の精神異常者」)で幕を開けると、会場の空気は一変し、40分弱で7曲を演奏すると、25万人以上から地響きのような歓声と拍手が送られました。

キング・クリムゾンの評判は広く知れ渡り、3ヶ月後の10月にリリースされたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は全英5位の大ヒットとなりました。

クリムゾンは「聴かせる」「考えさせる」「想像させる」といった、リスナーの知性や内向性に目を向けた芸術性と、クラシック音楽やジャズを融合させた芸術音楽を創りあげたのでした。

また、ビートルズの「アビー・ロード」を一位から引きずり降ろした作品として音楽誌によって宣伝され(証拠がなく事実ではないと言われる)、よりセンセーショナルに受け止められ、新時代の到来を告げる作品となりました。

ビートルズ解散の要因として、一説には、大横綱が試合に負け、引退を決意すように、その解散二ヵ月前に発表され、新しい時代をつくった『クリムゾン・キングの宮殿』が、ビートルズに解散を決意させた理由の1つとも言われています。

キング・クリムゾンはプログレッシヴ・ロック(※文末に説明)という新たな音楽の先駆者になるとともに、本アルバムはその金字塔的作品として今も多くの人たちに影響を与え続けています。

たとえば、ムーディー・ブルースやピンク・フロイドといった先輩たちや後輩のEL&Pのプレグレだけでなく、ハードロックバンドにも影響を与え、レッド・ツェッペリンの最高傑作「天国への階段」にもあります。

日本ではフラワー・トラベリン・バンド(内田裕也、ジョー山中など)、四人囃子、初期のゴダイゴなどがクリムゾンの影響を受けています。

私事ですが、『クリムゾン・キングの宮殿』も初めて聴いたとき大きな衝撃を受けました。過去と同じ衝撃を受けたのは、カール・リヒター指揮「マタイ受難曲」、運命・第7番」、フルトヴェングラー指揮「ベートーベン交響曲第9番」です。

『クリムゾン・キングの宮殿』が発表される以前にも、ムーディー・ブルースやピンク・フロイドなど独創的な音楽を追求する先進的バンドはいましたが、当時最新のサンプリングマシン「メロトロン」を全面にフューチャーした新鮮なサウンドと高度な演奏テクニックによってクラシック音楽やジャズの要素を巧みに取り入れた深遠なロック世界を構築し、プログレッシブ・ロックの扉は大きく開かれらました。

プログレ五大バンドはキング・クリムゾン、ピンク・フロイド以外にイエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(EL&P)、ジェネシスで、他にも多くのプログレバンドがありますが、処女作「クリムゾン・キングの宮殿」を越えるプログレアルバムは未だかつてないと言われています。

というのも、プログレ本家クリムゾンはバンドの主導権でロバート・フリップ(g)と二分していたイアン・マクドナルド(サックス/kb/フルートなど)や、マイケル・ジャイルズ(ds)がすぐに脱退し、以後、ロバート・フリップ一色となり、グレッグ・レイク(Vo/b)も脱退し、才能のぶつかりあいがなくなったことがあります。

イアン・マクドナルドは作曲と演奏を主導し、スタジオ作業もメインでこなし、「21世紀のスキッツォイド・マン」以外はイアン・マクドナルとグレッグ・レイクの色が濃い作品で、デビューアルバムの完成には二人の才能は欠かせないものでした。

プログレッシブ・ロックによって、1970年代アメリカのカンサス、ボストン、ジャーニーなどの「アメリカン・プログレ・ハード」というジャンルが登場し、産業ロックの隆盛に影響を与えてました。

『クリムゾン・キングの宮殿』の曲としては、1曲目の「21世紀のスキッツォイド・マン」の重さと攻撃性はヘヴィロックやヘヴィメタルの元祖ともいえるくらい、大きな影響を与えています。

メロトロンをフル活用してジャズやクラシック・ロックの要素を混ぜ合わせ、メロトロンの代表曲となる「エピタフ」や「クリムゾンキングの宮殿」を生み出し、メロトロンを世界的に広めました。
メロトロンは60年代中頃に出回ったばかりのアナログのサンプリング・キーボードで、鍵盤の数だけテープとヘッドがあり鍵盤を押さえるとテープに録音された音が鳴ります。

■『クリムゾン・キングの宮殿』収録曲について
1曲目 21世紀のスキッツォイド・マン
ロックとジャズを融合させたクリムゾンの代表曲。
ピート・シンフィールドによる詞は、ベトナム戦争など当時の不安な世相を背景に、21世紀のディストピア的な未来像を暗示したものであるとされています。

2曲目 風に語りて
美しく叙情的で、マイケル・ジャイルズのジャズっぽいドラミング、イアン・マクドナルドのクラシカルなフルートソロ、ロバート・フリップによる華麗なギターを楽しめます。

3曲目 エピタフ(墓碑銘)
シングルカットされていませんが、歌詞の幻想的な世界観、叙情的なメロディでクリムゾンの人気曲となっています。
グレッグ・レイクが切々と歌い上げる「エピタフ」の美しく悲しい旋律は本アルバムのカラーを決定づけています。
「エピタフ・レコード」はアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を構えるインディペンデントのパンク・ロック・レコードレーベルですが、この曲から名付けられました。
日本の歌手にもこの曲のファンが多く、ザ・ピーナッツ、フォーリーブス、西城秀樹らがカバーしています。

■『クリムゾン・キングの宮殿』の評価
・全英オフィシャルチャートでは最高5位、全米ビルボードチャートは28位。
・『ローリング・ストーンが選ぶ史上最高のプログレ・ロック・アルバム50』において第2位。
ちなみに1位はピンク・フロイド『狂気』(1973年)で本ランキングでは5位にランクインしています。
・ザ・フーのピート・タウンゼントのレビューには「恐ろしいほどの傑作」と評される。
・印象的なアルバム・ジャケットを手掛けたのは、画家のバリー・ゴッドバーで、鏡を覗きながら描かれた自身の自画像を発展させたものと言われています。

■ロバート・フリップ(Robert Fripp、1946年5月16日 – )キング・クリムゾンのギタリスト兼リーダー。
・「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第42位、2011年の改訂版では第62位。
・そのリーダーシップと厳格な音楽への取り組みによって1960~1970年代のプログレッシヴ・ロック・ムーブメントを支え、多くのアーティストに影響を与えてきました。
・ジミ・ヘンドリックスに対しては「天才だ」と言い、インプロヴィゼーション(即興演奏:楽譜などに依らず音楽を、即興で作曲または編曲しながら演奏を行うこと)を主体とした演奏方法で、『クリムゾン・キングの宮殿』や『レッド』(1974年)では非常に高く評価されています。
・ヘンドリックスも、フリップのギター・プレーに感銘を受け、フリップのライブを観た後に楽屋を訪れた際、「心臓に近いほうの左手で握手してくれ」と頼んだという逸話が残っています。(フリップとヘンドリックスは左利きです)
・ビートルズやジミ・ヘンドリックスのファンで、ビートルズに関しては『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に感銘を受け、ミュージシャンを志したと言われています。
・彼は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の三曲目の「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」をカバーしました。
・20世紀前半に活躍したクラシック音楽の作曲家バルトークも好んでおり、緻密な構造や旋律主体の楽曲など、作風にも影響が見られると言われています。
・キング・クリムゾンでの活動以外にも、次のような個性的なアーティストと交流を持ちました。
デヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、ピーター・ガブリエル、ダリル・ホール、デヴィッド・バーン(トーキング・ヘッズ)、アンディー・サマーズ(ポリス)、デヴィッド・シルヴィアン(ジャパン)

■マイケル・ジャイルズ(Michael Rex Giles、 1942年3月1日 – )キング・クリムゾンの初代ドラマー。
・「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において49位。
・1961年11月、ダウランド・ブラザーズのバックバンドに、弟のピーター・ジャイルズ(ベーシスト)と共に参加。
・1964年にはプロ活動に専念する為、兄弟揃ってトレンドセッターズ・リミテッドに加入し、数枚のシングルを発表。
・1967年春に、ブレイン(トレンドセッターズの改名後の名称)を脱退。
・マイケルはピーターと歌えるオルガン奏者を新聞で募集し、応募してきた地元ドーセットのギタリスト ロバート・フリップ(実はオルガンは演奏できない)が加入し、同年9月新バンド・ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ(以下GG&F)を結成。
・1968年9月13日、GG&Fのファースト・アルバム『The Cheerful Insanity of Giles, Giles & Fripp』が発売。

■グレッグ・レイク(Greg Lake、1947年11月10日 – 2016年12月7日)ボーカリスト、ベーシスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。
・『クリムゾン・キングの宮殿』でベースとボーカルを担当したが、セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』ではピーター・ジャイルズがベースを担当したために、ベースではなくギターを演奏。
・1970年にエマーソン・レイク&パーマー(ELP)を結成し、世界的な知名度を獲得しました。

■イアン・マクドナルド(Ian McDonald、1946年6月25日 – )サックス、フルート、キーボード、ヴィブラフォーンをこなすマルチプレーヤー。
・1969年末にはマイケル・ジャイルズともどもバンドを脱退し、マクドナルド&ジャイルズを結成。アルバムを1枚発表するも恋人との別離後精神療養のため、渡米し、マクドナルド&ジャイルズは消滅してしまった。
・その後しばらくはセッション・プレーヤーや音楽プロデューサーとして活動。特に、治療から帰国直後最初にレコーディング参加したT・レックスの大ヒット作『電気の武者』(1971年)でサックスを吹いたことは有名。
・プロデューサーとしては、ダリル・ウェイズ・ウルフ『カニス・ループス』(1973年)やフループ『Modern Masquerades』(1975年)、ファイアーバレー(Fireballet)の『Night On Bald Mountain』(1975年)等を手がけました。
・1977年、英米混成バンドのフォリナーを結成してデビュー。商業的成功にも恵まれるが、アルバム3枚で脱退。

※「プログレッシブ」とは、本来、「先進的」・「前衛的」というような意味だが、プログレッシブ・ロック・バンドのアルバムはが次のような特徴があります。
・アルバム全体を一つの作品とする意識(コンセプト・アルバム)
・大作・長尺主義傾向にある長時間の曲
・演奏重視で、インストゥルメンタルの楽曲も多い
・技巧的で複雑に構成された楽曲(変拍子・転調などの多用)
・芸術性を重視した曲作り
・クラシック音楽やジャズ、あるいは現代音楽とのクロスオーバー・ミクスチャーを試みたものも多く、高度な演奏技術を有する
・シンセサイザーやメロトロンなどといった、当時の最新テクノロジーを使用した楽器の積極的使用
・独創的な音楽性(あるいは既存のプログレバンドの音楽性から強く影響を受けている)

■このランキングの作成にあたるまでの背景
過去、クラシック音楽が好きで、多くの記事(クラシック音楽関連記事はコチラから)を書いていますが、今回から、ロックが歴史的に音楽に大きな影響を与えた名盤をランキング形式にまとめてみました。

というのも、宇多田ヒカルが紅白に生で歌うことが話題になりましたが、ライブでは彼女は歌がうまくなく、CDとは別物でした。宇多田ヒカルのCDは素晴らしく、好きなだけに大変、残念であり、これでいいのかなと思っています。

このように録音を編集して、商業的に成功させる音楽が多くなっています。

そこで、本物の音楽を考えた結果、ロック史で重要な位置づけにあり、新たなロックを追求した名盤を紹介させていただきたいと思いました。

以前から、このような記事を書きたいと思い、ロック名盤をHPで調べ、購入やレンタルして200枚以上の名盤を聴いてきましたので、今回、おすすめさせていただく「音楽界に大きな影響を与えたロック名盤」を是非、聴いていただきたいと思っております。

■ご注意事項
次の歌手・バンドはHPでロックのおすすめランキングなどで多く紹介されているため、ランキング対象外にしており、HPや書籍でも情報が少ない、ロック名盤おすすめランキングを紹介いたします。
・商業的要素が濃い。
・作曲、作詞をしていない。
・音楽性を強く追求していない(アイドル系、ファッション系、セクシー系、ビジュアル系、サントラ、産業ロック、ニュー・ウェーブ、ニューロマンチックなど)
・対象外とした歌手、バンドの一例
ビートルズ、エルヴィス・プレスリー、ディープ・パープル、エアロ・スミス、クイーン、セックス・ピストルズ、ザ・ローリングストーンズ、ヴァン・ヘイレン 、オアシス、デヴィッド・ボウイ、ジャーニー、イーグルス、ビー・ジー・ズなど

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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