スクープ!謎に包まれた金谷城・主郭の記事の初発信!

◎山城
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今回、金谷城・主郭部の記事は、多分日本で初発信だと思います。
(インターネットで調べたところ、金谷城主郭部の記事は見つかりませんでした)

この記事はスクープ記事ということで内容豊富です。
もっと簡略な説明で大丈夫と思われる方は次を見てください。
ダイジェスト版⇒謎に包まれた金谷城主郭部がついにベールを脱ぐ!

今回、海城サミット2023in Chibaで、ずっと非公開だった金谷城の主郭がTJKリゾート金谷城様(ホテル)のご厚意で、ついに公開されることになりました!そこで筆者は③の”山城ガールむつみ”さんツアー(35名満席)に参加しました。
(②の2回の公開で計80名のみでしたが、2回目は強風のため、中止とのことでした。)

金谷城は里見実堯の本拠地でした。里見実堯は稲村城で殺害され、稲村の変(天文の内訌)の発端になったことで有名です。

金谷城は江戸湾に面した海城として、勝山城、岡本城ともに里見氏の重要軍備地点で、自然要害をうまく利用した素晴らしい縄張りをもつ山城です。
主郭での遺構は圧倒的に素晴らしかったです!

金谷城の位置

まずは山城(海城)の地形確認をしましょう。
太平洋から江戸湾にはいる船を監視・攻撃・防御するには貴方はどこにお城を建てますか?
筆者なら富津市の海岸で山(できれば水があればさらによい)があるところにします。
この金谷城はこのあたりのランドマークである鋸山(富津市HP)から西に延びる支尾根に位置し、場所的にとてもいいところです。

1590年、豊臣秀吉によって関東に移封させられた徳川家康は当然、里見氏を警戒します。里見氏は海から、江戸の町を火の海に簡単にできるからです。
その里見氏の牽制のため、なんと徳川四天王であり、生涯無傷・無敵の最強武将ともいわれる”本田忠勝”を上総国夷隅郡大多喜(千葉県夷隅郡大多喜町)10万石(家臣団第2位という待遇)を置いたのです。今のNHK大河ドラマ「どうする家康」では山田裕貴さんの配役ですね。松山ケインチさんが扮する本田正信とは違います。

豆知識(海の交通の要所)ですので、次にすすんでもらっても大丈夫です。
船の交通は昔から今でも便利です。
特に戦国時代では船ルートをおさえることがとても大事でした。
このエリア以外では淡路島と紀伊半島間も大変重要で、太平洋から大坂・京都に向かう交通の大動脈でここを抑えたものは大変な権力と経済力を有することができました。これについて詳しく知りたい方は次の記事をみてください。
豊臣政権No2がなぜ和歌山を統治?なぜ紀州御三家が紀伊に?

金谷港からみた金谷城の全景写真 ※千葉城郭保存活用会”より写真提供
中腹にホテル(二ノ郭)があり、頂上の平な部分が金谷城の主郭
戦国時代では木がなかったと思います。そこに柵が張り巡らされ、人や旗がたくさんあったら、みなさん、攻めようと思いますか?危険な城で、攻めるのは気乗りしないですね。

TJKリゾート金谷城(中央)と金谷城主郭(右の山頂平地部分) ※TJKリゾート金谷城HPより引用

金谷城は主郭と二ノ郭の城門跡が現存してますが、ホテル宿泊者でも非公開となっています。金谷城の縄張り図(設計図)です。時期をみると、この2月特別公開(2023年2月12・19・26日)に向けて緊急で製作したようです。

金谷城の縄張図 主郭以外(二ノ郭、根古屋、三ノ郭など)はTJKリゾート金谷城・体育館・駐車場・観光施設などとなり、

出所:金谷城の特徴的留意点について(”千葉城郭保存活用会”より提供)

主郭部の拡大図に、写真撮影位置がわかりやすいように番号を追記

これから写真紹介をします。上図の番号と合わせて見やすくしております。
筆者は攻める側の立場で見学します。
皆様も山城を見られる際は、山城を攻める気持ちでみれば、より山城が楽しくなるかと思います。

ここまでくるにはここを所有するホテル(TJKリゾート金谷城)に入口の鍵を解錠してもらう必要がありますので、基本、非公開となります。(今回、TJKリゾート金谷城のご厚意で公開となった経緯は文末で紹介します)

①:ホテル(二ノ郭)からはいるとすぐにこの光景。急であり、上から様々の角度から矢や石が飛んできます。攻めるには怖い。。。ここはヤバいからさけて他の場所を攻めようって気になりますね。

②少しあがってきました。ここは曲輪(守備を有利にするための削平した広場)と思われ、整備されていないです。ここの広場に柵をたて、通路を狭くされ、柵の内側から先がとがった竹棒で待たれていたら、その狭い通路を通過しようなんて思わないですよね。かならずやれてしまいます。戦意喪失!

さらにすすんでいくと、写真中央のうっすらとした④通路。皆さん、この通路を通りますか?

山城の設計(縄張)では通れる道を土木工事によって限定させ、そこを通るとやられてしまうぞと思わせることが重要です!戦わずして勝つですね。

ここでは、右上の⑧北側物見があり、多分、北側物見は柵で囲まれていたと思います。
そうなると、この道は嫌だから、右をあがっても柵で止まり、竹棒でさされてしまいます。柵があるところは行きたくないですよね。

さらに、右上に弓矢や石をもった人がいたら、ここを通りますか?右を上がっていきますか?

そういうことでここはかなり危険な通路。ここはエリアはかなりヤバイところ。
別のところを攻めようか?という感じで、反転して別の場所を攻めます!

⑥南側物見から③曲輪を見下ろした風景。高低差が8mぐらいあります。

さきほどの通路をやめて前にすすんだから、上写真の人がいるところに行きつきます。ここ(この写真撮影場所)からも弓矢で攻撃されますので、ここもヤバいところでした。攻めるにもいきなりの危険が襲ってきますね。このように山城は攻撃した側が突破・回避してきてもさらに恐怖がある、さらに突破・回避しても恐怖がある、これ以上奥にいくば退却中にやられてしまうと、戦意を失わせるようにつくられているのです。

このように地形を巧みに利用して通るルートは制限させて、攻撃側を怖がらせるという仕掛けがたくさんあるのです。

⑥南側物見からみた③曲輪を見てます。⑤土橋を通るのは危ないので、ホテル側スタッフから写真の梯子で上り下りするようにとの指示がありました。

上写真で勇気をだして(人がいるところから)登ろうとしたら、ここ(南側物見)から矢がとんできます。かなり高低差があり、登りでぐずぐずしてると確実に矢にやられます。

⑤:主郭部内での土橋(主郭中心部と物見台をつなぐ通路)で、かなり細く、両側とも切岸です。

ここを通るのも危険です。道は細く、一人ずつしか通れないため、一人ずつすぐにやられてしまいます。

この土橋は通りたくない、上写真のように下から登りたくないとなれば南側物見は少ない兵で守れますね。
このように山城は敵が攻めてくる箇所をなくすように設計して、少ない兵でも守れるようにする、山城は命を守る知恵の結集なんですね!

それも、この金谷城に民衆が逃げ込んだという文書が残っています。子供・奥さん・両親を守るとなれば、山城の設計(縄張)は家臣の知恵の結集であり、民衆は山城土木工事を積極的に手伝いますよね。
山城はその地域の避難場所ですね!

そう考えると山城は日本人の知恵の結晶ということですね。このように命のかかり超マジになった日本人たちの知恵の結晶っていま何がありますでしょうか?
命がかかるものとなると山城のみ!?他になにかあればおしえてください。

世界111ヵ国を旅行している筆者は、世界からみて山城は日本が誇れる最高レベルの遺構だと思います。ちなみに山城以外では、能、刀剣、源氏物語(世界最古の長編小説)などです。歌舞伎や茶道も伝統芸能ですが、時代とともに変化しているので厳密には本来の伝統芸能ではないです。歌舞伎は江戸時代の民衆にうけるように変化しつづけてきたエンターテイメント型伝統芸能で、能は誰でも演じられるように型が決まっていて、室町時代からあまり変わっていないです。

⑥主郭南側の物見です。ここには明治時代に作られた砲台のあとがあります。

堀切:南尾根からこの⑥南側物見に来れないように堀切があります
南尾根からここまで来るまでたいへんなのですが、堀切を造るほど念入りな防御になっています。

記事の半分を読まれています。
もし記事が長いなぁと思われた方はこの記事のダイジェスト版をみてください。
謎に包まれた金谷城主郭部がついにベールを脱ぐ!

山城を攻めるときには弓矢や投石や意識面で有利なように、なるべく上にいたいため、尾根をとおることが多いです。したがって山城の設計では尾根でどう敵を倒すか、敵をどう通らせないようにするかがポイントとなります。堀切があると一度降りて、またあがるので、その間に上にいる敵がら竹棒で刺されてしまいますね。
このように山城は土木工事によって防御性を高めています。

ちなみに、天守閣のもつお城では、その縄張りは平地にあることが多いのでほぼ規格品(山城の技術の標準化)のようになっていて、山城の防御技術が理解していれば簡単に説明できます。
一方、山城は地形(川・山・谷など)を活用して設計するので、山城ごとに設計が異なりますので、どう防御しているかを解く、パズルのような要素があります。それも地域全体とその山城内部と2つも考える必要があります。体も動かす、とてもいい頭の体操ですね!
命を守るために戦国時代の人々の知恵をご自身で紐解いてみたくありませんか?

③曲輪から⑤土橋(人がいます)を見上げた風景。

上には、土橋沿いに柵をたてられて、弓矢、先がとがった竹棒、石をもって敵がいます。あなたならどうしますか?ここを登りますか?上ったとしても柵をすぐに倒せますか?柵を倒す間にも・・・
この単純な地形(簡単な土木工事)でも柵をたてることで、敵に恐怖心をあたえられますよね。

⑧北側物見からきた北の風景(金谷港)こちら側に大手門があったと推測されています。このように港を監視しやすいので、敵が来てもわかりやすいですね。下の建物あたりが二ノ郭です。この山城(海城)は広いですね。

⑧北側物見からきた北の風景(金谷港)

⑧北側物見からきた北の風景(金谷港)

⑧北側物見からみた⑨西尾根。この尾根は細く・長いのでとても魅力的です!
④の通路からこの尾根を先に行っていますので、あとで説明します。

さきほど説明したように、敵は尾根をつたって攻めてくる場合が多いです。
西尾根より一段高い北側物見(撮影場所)に柵で周囲を囲んで、奥から敵が攻めてきても、道が細いので一人ずつしか来ないので守る側は気持ちの面で楽だと思いませんか?
一方、攻めている貴方は奥からこちらにきます。柵があって、柵内には弓矢、竹棒、石をもった人がいたら、攻めるのためらいますよね?
ここの西尾根もかなりヤバいです!

⑧北側物見の西端から北側物見(中央)をみてます。

金網がはってますね。ここを降りていくと上写真でみたニノ郭があります。
もし貴方が下(ニノ郭)から北側物見を攻めるとして、この急な坂を上ってきますか?
無理ですよね。当然柵もあるし、登るだけでたいへんなのに、上から矢が飛んでくるんです。身動きがとりづらい状態で矢が飛んでくるって怖すぎます!
このように山城は急な坂や崖をつくる土木工事だけで、敵の攻めてこられないようにできます!
通りやすい道は横から狙われるという感じで、山城攻めはおそろしいのです!

⑩北尾根です。時間があれば降りてきたいです。この尾根も魅力的です。ここも西尾根と同様に敵がくるルートですね。

⑧北側物見を降りて、上述した④の通路を通って、振り返ったところ。ここを通るのはかなり危険です!必ず、やられてしまいます。(この前の道は危険ですので筆者のみ見学)

⑪北西曲輪からみた景色。富士山、三浦半島がきれい見えます。美しいですね!(ここまでくるのは危険なため筆者のみ)

この金谷城は遺構がわかりやすいこと、景色が日本の山城の中でも最高レベルですので、初心者の方でもとても楽しめる山城・海城だと思います!
それも山城と海城が一挙に楽しめるのはお得ですね!

⑪北西曲輪から北西にのびる尾根。美しいです!ここまで読まれた方はこの道のヤバさはよくおわかりになりますね。ここを通ってきたら、必ず、一人ずつ、やられてしまいます。
この先は下に降りづらい感じでした。(ここまで来るのは危険ですので筆者のみ見学)

以上、番号をつけて遺構の位置がわかりやすいようにして、実際の攻撃・防御を考えて説明いたしましたが、いかがだったでしょうか。
ここまで読まれた方は、山城の理解が深まっていますよね。
今、下の設計図(縄張図)をみると想像がふくらんできませんか?

ここから攻めて行ったらどんな防御があるんだろう?ワクワクしませんか?ちょっとした地形調査者みたいになりますよね。

山城は、その周辺からは地域全体の地形をみて自然要害度を確認して、さらに山城内部では戦国時代の人々の知恵(トラップなど)を紐解き、貴方自身の想像力や分析力を高めてくれるのです。さらに運動にも歴史の勉強にもなりますね!
さぁ、山城に出かけてみましょう!

山城候補地探しのご参考にしてみてください。
【関東】行ってよかった山城ランキングベスト20
行ってよかった山城ランキング

このように主郭の写真と説明をインターネットでみられるのはこの記事のみだと思います。(2023年2月27日時点)

今のところ、金谷城・主郭部の公開はまだ予定がないとのことです。
”千葉城郭保存活用会”の代表の方、富津市観光課などから、公開情報がでましたら、報告いたします。

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金谷城は関東の山城ランキング上位にあります。コチラから見れます。

本ブログの目次はコチラから見られます。

山城関連の記事はコチラから見れます。

■補足説明 山城訪問で筆者が皆様に知ってもらいたいこと

山城は市町村以外の土地所有地にあることが多く、山城巡りは土地所有者のご厚意によることが多いです。その方々には感謝しながら、山城を見学することは大事なことと思っています。

この金谷城はTJKリゾート金谷城のホテル所有地内にあります。さらにこのホテルは一般者ではなく「東京都情報サービス産業健康保険組合」の組合員のための宿泊設備です。そのため、金谷城を活用して売り上げアップとはなりません。

千葉城郭保存会代表からお話をうかがったところ、TJKリゾート金谷城さまは、「かねてから地域貢献を進めていきたい意向」をお持ちだったとのことで、上の写真の整備(金網、ロープはり、通路の整備など)、当日アテンドするスタッフのご手配などをすべてTJKリゾート金谷城さまのご負担でされたとのことです。
地域貢献は最近企業では当たり前のようになっていますが、メリットが小さい中、これほどのご負担をされる”TJKリゾート金谷城”さまに大変感銘をうけましたので紹介たいしました。

さらにこの公開するにあたり、”千葉城郭保存活用会”小室代表がここの現地調査を行い、この海城の価値を見える化し、”海城サミット2023in Chiba”の主幹事となって、千葉県内の観光協会などの行政、JRバス関東さまなど企業などが協力されたことで本特別公開となりました。
その関係者の方々にこの場を借りて、感謝を申し上げます。

あとなぜ、この金谷城特別公開が地域貢献かを説明いたします。

現在、「鋸山」は令和3年7月「日本遺産候補地域」に指定されていまして、金谷城自体が「鋸山」の構成文化財です。今回の金谷城の特別公開が好評であれば、令和6年、鋸山の日本遺産認定に向けて大きな後押しになるのではないかということで、TJKリゾート金谷城さまは賛同され、見学者の安全確保のためのご検討と費用負担されたとのことで、賞賛すべきことではないでしょうか。

今回の金谷城の素晴らしさが世間に広まると、再度の主郭特別公開もあるかもしれません。

筆者は、他の山城でも土地所有者のご厚意、地域ボランティアの方々の整備・清掃などで様々な方々のおかげで、山城巡りが可能になっていることも知ってもらいたいと思い、長くなりましたが、話を話をさせていただきました。

TJKリゾート金谷城のホテル内にある案内。スタッフさんのお手製のようで素敵マップですね!
この素晴らしい金谷城が多くの方にみられるようになることを願っております。

■ご参考
昨年2022年12月にあったお城EXPOで、”海城サミット2023in Chiba”は、筆者が思う展示ベスト3にいれてました。さらにこの展示がよかったため、”千葉城郭保存活用会”のセミナーも聞きにいきました。この時の講師が小室代表でした。とても素晴らしい山城紹介でした。
「お城EXPO 2022」見学報告

金谷城の特徴的留意点について(”千葉城郭保存活用会”よりご提供)の要点です。
・金谷城は鋸山(富津市HPでの説明)から西に延びる支尾根に築かれた中世城郭
・標高120m、北側斜面に曲輪群を展開する直線連郭状の縄張り
・特異遺構:岩盤整形による四脚門と一体となって機能した虎口。東日本で唯一の事例。
・泥岩の岩盤から郭(本丸・曲輪など)、堀切、虎口、石塁、階段を大規模に削り出し。
 (しかし多数の専業の石工集団があったと推測されるが、その証拠は見つかっていない)
・江戸湾の出入り口に位置し、江戸湾の入湾出湾を監視する役目
・戦国期は民衆の避難所としての機能したことが文書で残っている(この事例は千葉県では香取市森山城の2例のみ)

 

最後までよんでいただきありがとうございます。

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