今回から5回に分けて、世界遺産のアウシュビッツ強制収容所を紹介したいと思います。
読んでいただく前のご注意がありまして、文章で犠牲者の悲惨な状況を説明していますので、気になられる方はスルーしてください。
博物館のチケット売場やレストランなどがある建物です。
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アウシュヴィッツ強制収容所の地図です。
博物館に入ると、見える建物はSS(親衛隊)の詰所があり、そのとなりに収容所の有名なゲートがあります。
収容所のゲートには
「ARBEIT MACHT FREI」
の文字が掲げられています。
意味は、「働けば自由になる」です。嘘ですから、悲しいことですね。
下写真で変な点に気づきますでしょうか?
Bの文字が逆さまです。
収容者の証言によると、ポーランド政治犯の一人がゲート建造中にBの文字を咄嗟に逆さましましたが、気づかれず、そのまま設置されたとのことです。
収容者の反抗のあらわれでしょうか。
ゲートを入ると、写真中央下の芝生の部分で、収容者の楽団が演奏した場所です。
左の建物が15号館でポーランド館で、占領されたポーランドの様子が数多くの写真で紹介されています。
下写真は11号館で博物館で一番混みます。
ここは臨時裁判所、ゲシュタホ士官、地下牢などがあります。
臨時裁判所では逮捕されたポーランド人(主に政治犯)は裁判にかけられ、ゲシュタホの地方司令官と陪審員の警察職員の二名で判決を出していました。
職員の証言によると、210人のうち、206名が一人、一分にも満たない審理で死刑宣告されたとのことです。
死刑宣告されると建物の中庭に出て、右側に有名な「死の壁」や「死のブロック」(下写真)とよばれる壁の前に立たされ、銃殺されました。
収容者にはわからないように、消音装置のついた銃が使用され、一万人が処刑されたといわれています。
その処刑されたポーラン人の中には「ポーランドはいまだ死なず」と叫びながら、銃殺されたとのことです。
銃殺はSS(親衛隊)下士官が行い、死体処理は収容者たちが行ったとのことです。
ガス室と焼却炉のある第一クレマトリウムに行くには、一度収容区域をでますので、下写真ような二重の鉄条網を抜けていきます。
収容区域は二重の鉄条網に囲まれています。
- ■ポーランドの記事一覧は次から見れます。
- http://ameblo.jp/la-luna-sarah/entry-12158382130.html
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