今回は筆者が思う宮崎県No1の山城「都於郡城(とのこおりじょう)」の紹介です!
伊東氏は、伊豆国伊東荘を本貫地とするが、鎌倉時代に日向国に地頭職を与えられ、南北朝期に足利尊氏に仕えて日向国都於郡を与えられ、都於郡初代”伊東祐持”が本拠地として都於郡城を築きました。
都於郡城は標高100mの台地にあり、まわりを急峻な断崖に囲まれ、西北は三財川が外堀の役割を果たし、五つの曲輪をもつ堅固な城(五城郭)で、遠くから眺めた様が、舟が浮いているように見えたところから、別名「浮舟城」と呼ばれています。
東西約400メートル、南北約260メートルの広さと5つの曲輪から、五城郭ともいわれています。
五城郭のほか7つの出城「日隠城、東ノ城(約450坪)、泉城、南ノ城(約1500坪)、向江ノ城(約600坪)、向ノ城(約900坪)、中尾城」があり、いずれも丘陵の先端に築かれています。
さらに総延長約4キロメートルもの水堀や池が、五城郭や武家屋敷、寺社地、町人地など取り囲むように巡らされており、南北朝時代では西日本有数の大規模な惣構え(東西約2キロメートル、南北約1キロメートル)でした。
アクセスについてです。筆者は基本、電車とバスですが、この山城の最寄駅は佐土原駅ですが、非常にアクセスが悪いです。観光案内所もなく、コインロッカーもなく、荷物預かりもありません。そのため、ここは残念ながらタクシーで移動しました。駐車場までは3560円でした。
所要時間は45~90分くらいです。
わかりやすいシンプルな縄張りです。初心者の方向きです。ベテランの方にはここでの景色が美しいです
本丸です。本丸には伊東マンショの像があります。
13歳で天正遺欧少年使節団としてローマへ渡り、日本と西欧の親善に大きな足跡を残した先師。
1569年頃、伊東氏の家臣・伊東祐青(いとうすけはる)の子で、日向国主伊東義祐(いとうよしすけ)の孫として生まれました。
伊東氏が島津氏の攻撃を受け、伊東氏の支城の綾城が落城した際、家臣の田中國廣に背負われ、伊東マンショ8歳で日向から豊後(大分)へ落ち延びました。
このことは「伊東主従豊後落ち」といわれています。
左:本丸 右:奥ノ城 きれいな堀です。
二ノ丸
三ノ丸
縄張りが単純で多くの案内板があるので見学しやすいです。
西ノ丸
西ノ丸からみた二ノ丸
左:西ノ丸 右:三ノ丸
二ノ丸の土塁 堀があれだけ深いのに土塁の高さはなんと2m
本丸 伊東マンショ像がみえます。
この都於郡城から佐土原城まで歩いていきます。徒歩70分です。バスなど移動手段はないです。途中、一乗院跡を通ります。
一乗院をすぎると大安寺池があります。この跡に大安寺があります。
大安寺は都於郡第5代城主 伊東祐尭(すけたか)の菩提寺として建てられました。
伊東、その家臣の墓が多くあります。
五城郭から徒歩25分ぐらいですが、ここまでもお城があります。このお城はほんと広範囲です。
山城記事を以下にまとめましたので、ご覧ください。
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目次には次のような記事が書いております。
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ブータンの光と影シリーズ ~ブータンは本当に幸せか?~
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コメント
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うわぁ!(✪▽✪)
ごっつい、えぇ堀らね??
整備もされてるし、いい城らな!
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うわぁ!(✪▽✪)
ごっつい、えぇ堀らね??
整備もされてるし、いい城らな!
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整備もされてるし、いい城らな!
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>♡まぁ♡さん
コメントありがとう!
とっても堀が深く、綺麗で、見学していて気持ちがよかったです!
南北朝時代でこの城以外に何キロも及び巨大山城でびっくりしました!
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>♡まぁ♡さん
コメントありがとう!
とっても堀が深く、綺麗で、見学していて気持ちがよかったです!
南北朝時代でこの城以外に何キロも及び巨大山城でびっくりしました!
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とっても堀が深く、綺麗で、見学していて気持ちがよかったです!
南北朝時代でこの城以外に何キロも及び巨大山城でびっくりしました!