今回はパキスタンの紹介につづき、インダス文明の紹介です。
インダス文明は、パキスタン・インド・アフガニスタン・イランのインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明で、現在南インドを中心に暮らしているドラヴィダ人(紀元前13世紀、アーリア人の侵入によって被支配民族となり、一部が南インドに移住)によりつくられたと推定されています。
インダス文明の都市
1.ハラッパー
2.カーリバンガン
3.モヘンジョダロ
4.マクラーン地方(ソトカー・コー、ソトカーゲン・ドール)
5.グジャラート地方(ロータル、ドーラビーラ)
うち、モヘンジョ=ダロ、ハラッパーは、1km 四方を超える規模。
インダス文明はインダス川流域だけと思われていました。
『リグ・ヴェーダ』に「サラスヴァティー」なる川の記述があり、その所在は長らく不明で、干がり涸れたガッガル・ハークラー川(メソポタミア文明のチグリス川・ユーフラテス川と異なり、1つの川です。ガッカルはインド側の呼称、ハークラーはパキスタン側の呼称です)の旧河道跡が人工衛星で確認され、ガッガル・ハークラー川の上流にあたるインド、ラージャスターン州北端部のカーリバンガンの大都市や近年、発掘調査のおこなわれたドーラビーラ遺跡など、旧河道沿いにインダス文明の遺跡が分布しているため、インダス文明にガッガル・ハークラー川も加えられています。
特にドーラビーラ遺跡は、ガッガル・ハークラー川の河口付近にあり、遠くメソポタミアとの海洋交易の拠点であったことが明らかになってきています。
日本ではインダス文明として有名ですが、考古学上は、ハラッパー文化と呼ばれ、パキスタンのパンジャブ州にあるハラッパーを標式遺跡としています。日本ではモヘンジョ・ダロの遺跡の方が有名ですが。
インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間(エジプト文明は紀元前3000年~、メソポタミアは紀元前3500年~)で、滅亡については諸説あり、以前はアーリア人の侵入による滅亡説と森林乱伐による砂漠化に伴って都市が放棄され住民が移住した滅亡説がありましたが、現在では、地殻変動によってインダス川河口付近の土地が隆起し、そのために洪水が頻発して耕地に塩害をもたらし、さらにインダス川の河道が移動したことによって、水上交通を前提とした貿易によって機能していた都市の機能を麻痺させたためという説が有力です。
これをより有力にしたのが先ほども紹介したメソポタミアとの海洋交易の拠点となっていたドーラビーラ遺跡の発掘です。
インダス文明の特徴を述べる前に文明について考えたいと思います。
日本ではインダス文明は四大文明の1つとして有名ですが、四大文明史観は梁啓超が『二十世紀太平洋歌』(1900年)という船上で詠んだ詩の中で示して以来、20世紀後半まで、主にアジア圏に於いて、文明論の定説の地位にありました。
この史観ではメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明が世界四大文明とし、その特徴を次に示します。
①氾濫農耕、灌漑農耕による余剰農産物の蓄積
②都市への定住し、人々が特定の職業に就く
③広域な定住地域
④広範囲な貿易
⑤文字で筆記すること
しかし、考古学的研究が世界の全地域をカバーするようになると、四大文明以外にも文明の定義を満たすような社会が次々に発見され、文明史論の大御所アーノルド・J・トインビーは、26の文明を識別したりと、四大文明説は定説の座を降りました。
インダス文明の特徴を10項目にまとめてみました。
①排水溝設備の整った碁盤目状に街路が走る
現地ガイドさんは下水設備があったと言われてましたが、排水容量を考えると、下水設備は一部のみで大浴場の排水や生活排水だったと思います。
現地をみていても下水が綺麗に流れるような水路ではなかったです。
②焼成レンガのサイズ統一化
縦:横:厚みの比4:2:1とサイズを統一化することで、大量生産、建築がしやすくなります。
③高度な井戸の揚水技術
モヘンジョダロには何十もの井戸があり、個人宅用、共同用といろいろありました。
④家に取りつけられたダストシュート
屋外に粘土製のかめが置かれ、清掃人がゴミの回収をしていました。
4000年以上も前にゴミを簡単に捨てられ、回収するシステムがあったとは驚きです。
⑤綿の染色技術
染色工房と推定される場所が発掘されています。
⑥高い加工技術を要する極小のマイクロビーズや紅玉髄の装飾品の製造
カーネリアン(紅玉髄)にアルカリ性の強い植物の根から採取したナトロンという鉄分を含んだ塩分(アルカリ性)の液を灰と混ぜて紋様を書き、300℃から400℃の低温で焼き、固着させていました。
紅玉髄はインダスでの特産物で、当時、メソポタミアで人気商品で、インダス文明の繁栄を支えました。この紅玉髄がメソポタミアに輸入される以前はラピスラズリの装飾品が人気でした。
ちなみに、メソポタミアではインダス文明の地を「メルッハ」と呼んでいました。
⑦度量衡の統一
分銅の質量の構成は,最初は 2進法で 1,2,4,8,16,32,64,128 の比率(重さが2倍になる)で,つぎに 10進法の 160~32000 までの比率が続きました。
二進数というのはコンピューターで計算が行われるようになり、近代になってようやく分かってきたくらいのものですが、すでに4000年以上も前にあったとは驚きです。
今、主流に用いている十進数は単に指が十本あるという所から来ただけのもので画期的なものでないのですが、重さを測る場合、二進数の方が十進数よりも遙かに少ない分銅で測ることができ、計量としては当時の数学ではもっとも進んでいたと推定できます。
⑧石製、銅製の秤
上記の分銅とともに商品の計量が正確になり、盛んな商業活動を支えました。
以前は分銅と秤はありましたが、地域により分銅の重さが異なり、物々交換で問題がありました。
⑨インダス式印章
凍石製で、印面は、3~4cmの方形でインダス文字とともに動物などが刻まれていた印章が多く発掘されています。
動物は、サイ、象、虎などの動物のほかに後のインドの文化にとって重要な動物である牛が刻まれているのが目立ちます。
⑩他の文明のように王宮や神殿のような建物は存在しない。
絶大の権力者がいなかったのではと推定されていますが、大都市をどのように統括できたのかが謎です。インダス文字はありますが、ロゼッタストーンのようなものが発掘されておらず、未解読のため、謎が多い文明です。
■パキスタン旅行写真紹介は下記からみてください。
■インダス文明の謎については下記からみてください。
http://ameblo.jp/la-luna-sarah/entry-11453049504.html
■インダス文明の発祥のモノについては下記からみてください。
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コメント
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>monz@世界一周準備中☆さん
ご協力ありがとうございます。
次回はインダス文明の謎について書きたいと思います。
よかったら、また遊びにきてください!
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ペタありがとうございます。
海外旅行、遺跡めぐり 大好きです。
またおじゃまさせてください。
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>エビドリア・ハンバーグさん
コメントありがとうございます。また見に来てください。
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インダス文明の詳しい記事大変参考になりました。このあたりは地震多発地帯であることを私のブログでも最近とりあげました。地殻変動の記述があったので裏付けになります。コメント頂けたら嬉しいです。
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インダス文明の詳しい記事大変参考になりました。このあたりは地震多発地帯であることを私のブログでも最近とりあげました。地殻変動の記述があったので裏付けになります。コメント頂けたら嬉しいです。